ENERGEIA向上委員会 承認制

部長:
深田貴子
最終更新日: 2023-04-18 03:14:44
タイムライン投稿
80
ライブラリ投稿
8
開催済イベント
5
参加者
20
この部活のタイムラインでは、このような投稿があります。
【Loom使ってみました!Zoomじゃないよ笑】

先日、種市さんがコメントしてくれた件、試してみました。

今回は部活ライブラリで個人的に困っている事でして、以前、意見箱でも送っている内容なのですが、こんな風に画面共有しながらだと、少しは伝わりそうだなーと感じました。

どうでしょう?内容は伝わりましたでしょうか??

要するに、鶏もも肉のタグは1つであることに意味があるのに、「追加する」から選んでしまうと、複数の鶏もも肉タグが出来てしまう。

もしくは「追加する」は使わず、選択しようとすると数が多過ぎて大変!ということです。

文章では伝えづらい箇所はこうして画面共有して伝えていきますね。

ふと思ったのですが、これURLを貼ればいいので、意見箱にも直接送れるのかな?くどいかもだけど、やってみよう(^^♪

Use Loom to record quick videos of your screen and cam. Explain anything clearly and easily – and skip the meeting. An essential tool for hybrid workplaces.
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【没頭のはじまり…違和感がある】

今日は没頭がどこからくるのか?という話です。

振り返ってみると、自分が没頭出来ていることは、少なくともそのはじまりは…

「違和感があること」

ではないかと、考える様になりました。つい最近の話ですが。

例えば、今月のおうちごはん部はオムライス作りに取り組んでいますが、それを没頭と呼ぶのなら…

それは昔、母親が作ってくれていたオムライスに違和感があった。ここが始まりの様に思います。

早い話、母親が作ってくれていたオムライスがどーも好きじゃなくて(感謝はしていますが)、今思うと、あれは完全な違和感だなーと思うわけです。

ケチャップライス(つまり、チキンは無し)はパサパサ。

卵には牛乳がけっこうたっぷり入っていて、あれもあまり好きじゃなかった。

全体的にぼやーっとした味付けで、ケチャップが無ければ、本当に食べづらいなーと思いながら食べていたのを思い出すのですが…

これって、平たく言うと「なんか違うんだよなー」という話で、違和感のことだと思うのです。


前回の向上員会で部長部のあり方について、ディスカッションしましたが、あれも1つの違和感だし、個人的には言い出せばたくさんの違和感はあって、それらが積もって、この向上委員会が出来たのかなーとも思っています。

ここに参加されている皆さんは、ENERGEIAに対して、何らかの違和感みたいなものって持っているのかなーと、興味津々です。

なんか違うんだよなー。自分ならこうするのになーとか。あったりします??

僕はけっこう頻繁に、こんな機能があったらいいとか、改善して欲しい事は、意見箱から送っています。

もちろん、リソースとか、優先順位の問題はあるとは思いますが、でも、それらを考慮しても、これはやって欲しいなーとか…いろいろ考えて、送る様にはしていて、これも自分の没頭活動だなーと思ったりしています。

もしかしたら、違和感が無い人もいるのかもしれないし、それが悪いとか良いとかではないのですが、でも…

もし、そういう何らかの違和感があるのなら、それは大切にすべきだし、どうやったら解消できるか考えて、行動に移す。

ここまで出来ると、ENERGEIAは少しずつ成長していくのかなーと思います(ENERGEIAに限った話ですが)。

場合によっては、すぐに行動に移せないこともあるとは思います。

でも、それは忘れず、ちゃんと温めていく事も大切なことだと思います。


いずれにしても、大切なことは、今、出来ることをやる。

これは正しいことだと思います。

逆に、今、出来ないことはやらない。

出来ない事をやろうとすると、そこにエネルギーを使うことになるけど、結果として、出来ない(ことが多い)。

そして、場合によっては、自己嫌悪になるという…良くないスパイラルに入ってしまうので、ここにハマらないことも、没頭活動における要所だと感じます。


ちなみに、今日の話は木坂さんの帝王学セミナーで、木こりはなぜ、木を切るのか?」というベイトソンの問いについて言及していて、そこからヒントを得たもので、

木こりが木を切る理由は、もちろん、木こりの数だけ存在するわけですが、それらを抽象化していくと…

「違和感があるから」ではないだろうか?という話をされていました。

木こりが最初に木を切ったのは、切らないことに違和感を感じた。

言い換えると、切らない事が気持ち悪いとか、切らずにはいられなかった。ともかく、そういう感覚が先にあり、木を切ってみた。こういう順番ではなかろうか?と。

そして、違和感のあるところに魂が宿る。という話もされていました。


木坂さんがすごいなーといつも感じるのは、

普段、僕らが現実社会で感じている違和感を言語化してくれること。

僕もそれこそ、母親のオムライスを食べた時に大いなる違和感を感じていて、それが没頭に繋がっているんだなーという事は、言われてみればナチュラルなんですけどね。

でも、言われてみれば…という話で、なんかそいう潜在意識では気付いている?けど、意識出来ていないことを、気付かせてくれる。そんなすごさを感じています。


とりあえず、今日の話はここまで。

ENERGEIAに限らず、ご自分の没頭活動と違和感の関連など、何か思うところがあれば、シェアしてもらえると面白いかなーと思い、投稿してみました(^^♪
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【ENERGEIA愛はどこからやってくるのか?2】

先週たかちゃんが「ENERGEIA愛はどこからやってくるのか?」という投稿をしてくれましたが、本当のことを言うと…

「なくないですか??」

と言っていたんですよ、僕が聞いた時は笑

「たかちゃんからはENERGEIA愛をとても感じるけど、それがどこからきているのか不思議…」って言ったら、

「なくないですか??」って。

それに僕も納得して、そう言われると「好きだから」としか言い様がないよね。

そういう会話をしたんです。


それで、よくよく考えてみると、

「ENERGEIAは自分の人生を良くしてくれるもの」

ってことなんでしょうけど、それは何故?と聞いたら、

やはり「なくないですか??」という話になると思うのです笑。


長尾さんや川口さんが言及されている和佐さん、木坂さんへの信頼であったり、「俺の図」への信頼感というのも分かります。

たぶん、今、向上委員会に参加されている方の多くが似ている部分だとも思います。

ちなみに僕もよくよく考えてみましたが、ENERGEIA愛の源泉があるとしたら…

「幸福の定義は、人間の完成」

という木坂さんの言葉かなーと思います。

完成という言葉がピンとこなければ、成長と言い換えてもいいかもしれません。

「幸福」という自分の中でぼんやりしていた概念が「目指せるものなんだー」と、自分事に思える様になったのも、この言葉に出会えたからだと思います。

喜びの形は人それぞれ。でも幸福は人それぞれ…ではない。幸福は1つ。

それが「人間の完成」である。


この信念があるからこそ、僕はENERGEIAにのめり込めてるのかなーと。

これに関してはもう信じる、信じないの話なので、これ以上の深堀りが出来ないわけですが、強いて言えば、

それが「自然なこと」なのかなーとは思います。


ところで、愛について、ちょっとだけ。

先日たかちゃんと話していて、愛を感じるって、そこに「理由がない」ことかなーって、思いました。

これって、choiceではなくgivenの感覚に似ているなーと。

choiceは説明しやすいけど、givenは何故か?が説明しづらいもので、恐らくそれが自然なのです。

あとは、「守りたい」と思えるかどうか?

守りたいと思えるものに愛が宿るのか、愛があるから守りたいと思えるのか、僕には両方しっくりきますが…

いずれにしても、ここ(ENERGEIA)はchoiseでは辿り着けなかったgivenの場所だと感じていて、だからこそ僕は「この場所を守りたい」と感じているのかもしれません。


とりあえず、副委員長のENERGEIA愛はこんな感じですかね。

まさか、エネルゲイアで愛についての投稿をするとは思ってもみませんでした笑

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【手段も目的もない世界】

皆様、GWいかがお過ごしですか?

僕はちょっとだけ実家に顔は出しましたが、あとは基本的に料理関連の記事を書いたり、あとは料理したりって感じです笑

おうちごはん部の試食会も2回行いました。今回は初参加の方もいらっしゃって、とても良い時間になりました。

これでエネルゲイアのイベントとしては12回目だったと思いますが、1年程、この試食会を続けてきて思うところがあって、それが今日のテーマでもあるのですが…


それは、僕は「誰かと繋がる為に料理をしているのでは?」と思う瞬間があるということです。

別にそれを目的に料理をしているわけではない…とも言い切れないなーと。

いつの日か、エネルゲイアで情報発信しているうちに、このキッチンに人が集まり、料理の準備をしている間、ある人は料理本を読み、ある人は漫画を楽しみながら待っている。

料理が出来たら、食べる人に至福の時が訪れ、最後は甘いものを頂きながら、時間の許す限り皆で語らう…

という時間をイメージはしていましたし、有難いことに今そんな感じになっています。

そうかといって、料理が手段だとも言い切れなくて、というのも料理している時は楽しいし、没頭している実感はあるので、それ自体が目的になっているともいえるわけで。

それで考えていたのですが、もう手段とか目的とかそういう風に分けて考えること自体、古くさいのでは?と今は思っています。

きっとエネルゲイアはそういう場所、「手段も目的もない世界に」になっていくのです。

没頭活動が手段であり、目的でもあるとより、もうそういうことを考えなくていい。

安心して没頭できる世界。

没頭していると居場所がやってくる世界。

成長することで幸福に向かう世界。


エネルゲイアがそんな場所になればいいなーと最近思うのです(これなら違和感がない)。


これに関連して、エピソードを1つ。

NHKの「SWITCHインタビュー」という番組があって、5年前くらいかな…いきものがかりのリーダー水野さんと映画監督の西川さんが出演されていまして、対談をするんですけどね。

その対談の前に水野さんが西川監督に送った手紙にこう書いてあるんです。

「分かり合えない他者と繋がる為にこそ、僕は大衆歌を書いている」

西川監督は「他者と分かり合えない」と言い切っている事に違和感を感じ、「それで、分かり合えましたか?」と聞いてみたい…

という感じで、この対談が始まるんです(とても興味深い内容で今でも時々、録画したやつを観たりしています)。


「分かり合う事は難しいけれど、分かち合う事は僕にもできる」

これはいきものがかりの「笑顔」って曲のフレーズですが、少なくとも曲を作った水野さんは他者とは分かり合えない事が前提で、どうしたら少しでも分かり合えるか?というテーマを持っている。

僕も考え方が似ているなーと思ったのですが、分かち合う事なら出来る、その為の土台も必要だよな…とも思うのです。

分かち合うのと押し付けるのは全然違うし、その違いが分からないといけない。

分かち合おうと思っているのに反発がある、それはその土台が無いということ。


僕が思うに、オンライン部活の意味するところは「分かち合うこと」ではないだろうか?

自分が没頭する。何のために?分かち合うために。

自分が没頭している経験があれば、他者の没頭も分かるし、分かち合えるはず。そう思うのです。

そういう土台が出来ている場所がエネルゲイア。そういう場所にしていきたいなーと考えています。

分かち合える人は分かち合える人に惹かれ合い、それが居場所になっていくと思うのです。


さて、この対談は続き、西川監督が「なんで音楽なんですか?」って聞くんですけど…

ちょっと別のテーマの話になってしまうので、ひとまず今日はこの辺りで。

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【エネルゲイアとは…没頭と居場所をつなぐ場所】

先日、告知しましたが、

来週月曜に「第1回 向上委員会 in Zoom(21時~)」を行います!

「エネルゲイアとは?」というトークテーマで、僕・私ににとってエネルゲイアはこういう場所、存在みたいな…そういうエネルゲイアに対する想いについて、ざっくばらんにお話出来たらと思っています。

参加出来そうな方は是非、ポチッとお願いします♪

さて、今日はこれに関連して、僕が思うエネルゲイアとは?という話です。

こういう側面があるという断片的は内容ではありますが、参考になるかもしれませんのでシェアさせて頂きますね。


没頭と居場所の関係についてです。

例えば、人通りの少ない路上で、歌を歌っている少年がいるとします。

たまーに人は通るけど、通り過ぎるだけ。誰も聴いてくれない。それでも彼は歌い続ける。

それは彼が歌が好きだから。歌わずにはいられないから、歌を歌う。

でも、正直なところ、その歌を誰かが聴いてくれたら、やっぱり嬉しいわけで。

そして、それが誰かの心の琴線に触れることが出来たとしたら…、それはとーーーーーっても嬉しいことだと思うのです。


没頭側では、究極的な没頭、つまり、誰も評価してくれなくても、自分がそれをすることに喜びを感じることを追求する。

幸福を求めるのなら、僕はこの段階は必要であり、ベースだと考えています。

没頭している時間はそれ自体が幸せなのだから、当然の話ではありますが。

でも、それだけでは孤独という、ある種の闇が残ってしまうと思っていて…

そこで、居場所という概念が登場します。

居場所には、孤独という闇を照らしてくれる「明かり」があるのです。

人は本質的に孤独だと思うし、孤独に寂しさを感じてしまうのは自然なことで、だからこそ、そういう闇を照らしてくれる、居場所が必要だと思うのです。


それで、今日はその没頭と居場所をどう繋げていくか?という話をしたいのですが。

それは「伝えたいことを伝えること」から始まります。

エネルゲイアとの出会いは皆、それぞれだと思いますが、例えば、この向上委員会は部長のたかちゃんが伝えたいことを伝えることによって、出来た場所です。

そして、伝えたいことは多くの場合、没頭活動と繋がっています。

紹介文にも「ENERGEIAを応援すること自体が没頭活動」と書かれていますが、その没頭ありきの伝えたいことだと思うのです。

僕の場合であれば、料理という没頭の時間があり、伝えたいことが生まれきて、それらをおうちごはん研究部という場所で伝える。

続けているうちに、自分が心地良いと思える場所になってきたという実感はあります。

また、おうちごはん研究部の枠を超えた繋がりも出来てきたし、その繋がりも含めて、自分の居場所だなーとつくづく思うわけですが、やってきたことは非常にシンプルで…

自分が伝えたいことを伝えてきた。ただそれだけな様な気もしています。


よくよく考えてみると、

「伝えたいことを伝える」には「自分自身に正直である」という意味が内包されています。

つまり、伝えたくない事は伝えなくていいし、というより、伝えてはいけないのだし、伝えたいことを伝えないのも良くない。ということです。

伝えたいことを伝えていくことで、良きコミュニケーションが生まれ、良きコミュニティ(居場所)が出来る。

これが理想であり、それ以外は削ぎ落していく(これも理想ではありますが)。

そうすることで、僕らは有限な人生において、本当に伝えたいことを伝えることに注力できると思うのです。


自分が本当に伝えたいことって…何だろう。

最近、副部長をしているSH-R部で、部員にインタビューするという企画を始めました。

トークテーマは「令和に繋げたいこと」なのですが、インタビューする側としては、とても難しいなーと思いながらも、でも、やる事に意味があると思うので、頑張ろうとは思っていますが。

「令和に繋げたいこと」と聞くと、壮大なことに聞こえるけど、でも、伝えたいことって、多くの場合、「未来に向けて」じゃないのかなー思うわけで、皆、持っているものだとも思っています。

ただ、伝えたいことではなく、「本当に」伝えたいことになると、突き詰めていくことになるし、それを口にするのが恥ずかしかったりしますが、それをちゃんと自分の中に持っておくことは大切なことだと思います。


そろそろ、まとめようと思いますが、

伝えたいことを伝えていると、本当に伝えたいことが分かってくる。

そして、それを伝えていくことで、本当に安心できる居場所が出来る。

本当に安心できる居場所で生きて、未来にそのストーリーを伝えてきたい。


僕は分断されていく世界の中で、そんなことを思っていますが…

是非、皆さんも本当に伝えたいことって何なのか?考えてみてください。

そして、それをちょっとずつ、然るべき場所で、伝えていきましょう(ちょっとずつじゃないと伝わらない気もするし)。

伝えたいことを伝える手段はたくさんあって…

部活を立ち上げる、投稿すること以外にも、部員として部活に参加し、コメントしたり、イベントに参加するのも、その手段になります。

文章を書くのが苦手でも、コメントという手段なら苦にならない方もいらっしゃると思うし、話すという手段で表現することだって出来ます。

本当に伝えたいことをどうやって伝えていくか。その手段も含めて、自分らしいものがいいとは思いますが。

結局は「個」の話になり、孤独が伴うものですが(最初は特に)、それを乗り越えつつ、本当に伝えたいことを定めていく。

いずれにしても、伝えたいことはちゃんと伝える。そうやって発信していかないと何も始まらないのです。

あとは、伝えたいことを、「どこで」伝えていけばいいのか?という話もあり、これに関しては、僕自身も試してみたいことがあるので、そのうちシェアさせて頂けたらと思っています。


というわけで、今日の話は以上になります。

前の東京オフ会で、コミュニケーションの取り方についての悩みが多かったので、向上委員会の皆さんにも参考になるかなーと思って、書いてみました。

「書く」って、自分の考えがまとまっていいですね。好きなことであり、没頭活動の1つかもしれません。
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