“快食快便”という嘘

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からだの中はいのちが生まれた頃の海の成分が循っています

いのちは海で生まれその海の成分を持ち運べる樣になったことで私たちは陸上で生活が出來るようになりました□このからだの中にはいのちの生まれた頃の...

そうして

酸素や栄養が隅々にまで行き渡り

老廢物を排泄することが出來て初めて

當たり前の健康がそこに在ります

不調とはからだの中の海が全體的に部分的に滯っている状態のことを言います


さて
便の70%は水分です
殘りの半分が新陳代謝した老廢物
つまり
細胞や腸内細菌などの死骸で
食べ物の消化吸収した後の殘骸のようなものが後の半分
この便は水に浮きます
水に浮かないのはそれ以外の要素があるからです
蛋白質脂質は唾液などの消化液によって完全に分解され同化吸収されます
この時分泌される消化液も吸収されますから
かなりの量自らの分泌物を再吸収してもいます
食物繊維もまず形は殘りません
唯一殘りやすいのは
動物の胃腸では消化吸収しきれない種の殻
最近は少し溫和しくなっていますが何を食べるとからだに良いとか何が惡いとか樣々な情報が溢れていてしかも人によってその良し惡しが違う爲に本當の処...

だから
玉蜀黍粒とかが時々現れるのですね
また
囘収された老廢物はそのまま排泄されるのでは無く
肝臟で再利用するものと不要なものとに分けられます
愈々不要となったものは胆汁となりますが
しかし
胆汁はまた消化液として一役を担うものがあり
一方では便の一部を形成していきます
からだはとことんリサイクルシステムなので
必要分摂り入れ
動いていれば
排泄される分は相當に少なくないとおかしいのですよ
このシステムは尿も同樣で
からだ中を經巡り囘収された老廢物を含む海の成分は
腎臟で濾過されリサイクルされまた全軆を巡り
不要となったものだけが排泄されます
そういうからだの機能から考えてみると
排泄されずに居殘っている老廢物が「宿便」ということになります
そして
腸内で出待ちをしているものが「滯留便」です
腸内とは言いますが
からだは竹輪と一緒で
口内から肛門までは筒であり
便が在る“腸内”はからだの外部です
そして
愈々再利用し盡くされながら
まだ腸内に排泄されていない状態を「蓄便」と言います
ですから滯留便はからだの外に
蓄便宿便は内部に在る状態です
この滯留便が詰まっていると
蓄便は滯留便になれず
つまり
新陳代謝が滯り
宿便も蓄便になれずに留まることになります
その状態が著しくなると
皮膚を排泄器官として使用せざるを得なくなります
つまり
吹き出物の類いは皮膚の疾患などでは無く
排泄の滯り
アトピーなどアレルギー症状は
要するに排泄が間に合わなくなるほどに
詰まっている状態だということです
排泄ですから當然それが體臭にもなってきます
不調になる程に
藥を服用する程に
物凄い匂いになります
仕術で循環が良くなるとなかなか香しいことにもまま遭遇します
「食べ過ぎ」というのは量の問題では無く
からだが求めていないのに食べれば全て「食べ過ぎ」となります
喉が渇くから水が美味しいのであって
無ければ死んでしまう水も酸素も摂り過ぎれば毒になります
食べ物の必要とはからだの材料としての動物性の蛋白質、脂質
毒出しの爲の植物
そして
電气と言っても良いのかもしれない
振動と言っても良いのかもしれない
健全ないのちのエネルギーで
大人になると嗜好が變わって苦物などが美味しく感じられるようになるのは
それだけ解毒の必要が高まっているということであり
子供が野菜嫌いなのは毒が溜まっていないから
毒出しの必要が無いからです
高齡者に動物性蛋白質脂質が必要なのは
自前を再利用するには經年劣化で材料が古過ぎ不足してくるからです
そうして
必要分だけを補い不要を逐次排泄して滯りを無くすことで
循環が最大化すればリサイクルも機能しますから
少量の食事で最大の活動が出來るようになります
“快食快便”というのは全く嘘っぱちってことですね

「アレが食べたい」というのが唯一本當の食慾です□「お腹が空いた 何食べようかな?」は食慾ではありません□そして時間だからとか殘すのが勿體ない...
最後までお付き合いいただき

ありがとうございます


以下の有料部は

單なるご挨拶だけとなっています


もし良いなと思っていただけましたら

お气持ち頂戴いただけたら嬉しいなと

ライブなどの投げ錢みたいなものと

お气輕にお考えください

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