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■ストーリー・オブ・マイ・ワイフ
監督:イルディコー・エニェディ
出演:レア・セドゥ―、ハイス・ナバ―
2021年製作/169分/PG12/ハンガリー・ドイツ・フランス・イタリア合作
配給:彩プロ
【誠実で不器用な大男と愛の物語】
極まれに映画を観ながらストーリーに没入しすぎず、でもそこから乖離している訳でのない状態で
「ああ、この映画好きだな」
「終わらなければいいのにな」
と感じることがあります。
「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」は正にそんな作品でした。
◆ストーリー
1920年のマルタ共和国。
船長のヤコブ(ハイス・ナバ―)は、カフェに最初に入ってきた女性と結婚するという賭けを友人とする。
そこにリジー(レア・セドゥ)という美しい女性が入ってくる。ヤコブは初対面のリジーに結婚を申し込み、その週末二人だけの結婚の儀式を行う。
幸せなひと時を過ごしていたが、リジーの友人デダン(ルイ・ガレル)の登場により、ヤコブは二人の仲を怪しみ嫉妬を覚えるようになる。
◆
海の上ではどっしりと頼りがいのある船長ヤコブ。大きな貨物船も豪華客船も彼が乗れば悠々と海を渡っていくのに、陸に上がった途端に彼はナイーブで不器用なただの大男になってしまいます。
「妻が居ると健康にいい」だなんて、共に航海する料理長の言葉にまんまとその気になったヤコブは早々に結婚することを決めてしまいました。
ともすれば妻なんて力で制圧してしまえばいい、簡単にコントロールできるさ、と思っていたヤコブのリジーと出会ってからの混乱っぷりに、海での自信満々な姿は見る影もありません。
いつの間にか妻であるリジーに本気で恋をしているヤコブ。
ところがリジーを愛する程に、リジーという迷路に迷い込み、不安と嫉妬に苦しむようになります。
でもその姿によって私はヤコブの意外な一面を発見し、どんどん彼に心惹かれていきました。
一方リジーは登場シーンから一貫して魅力的です。ヤコブに声を掛けられて振り向くリジーの美しいこと!
ヤコブと暮らすアパートに居ても、友人たちとカフェに居ても、ダンスホールで音楽に身をゆだねている瞬間も。どこに居ても光り輝く彼女は自由で伸び伸びとしている分、常にヤコブのコントロール外にいて彼を落ち着かない気持ちにさせます。
ヤコブの様にリジーの迷路に迷い込んだ私たちはリジーの視線に、表情に、何気ない一言に疑惑を覚え、益々彼女が分からなくなってしまうのです。
リジーの態度に「おや?」と感じ始めるヤコブの表情や瞳にクスリと笑ってしまう。そんな可愛らしさもこの作品は含んでいました。
でもリジーには”謎の女”という表面的なレッテルは与えられていません。
きちんとヤコブの隣にいて、現実味があり、手触りも感じる。ただヤコブのアクションに対するリジーのリアクションによってリジーの謎は深まり、私たちもリジーを捕まえておくことができないのです。
誰かを愛すれば愛する程、その人が分からなくなる。
愛を求める人間にとっては大いなる不安を抱かせるこの作品ですが「妻を観察する夫を観察する映画」として、最後までとても面白く観る事が出来ました。
169分という作品の長さに身構えてしまう方も居るかも知れませんが、主演のレア・セドゥ―、ハイス・ナバ―の魅力がたっぷりと詰まった169分です。
☆以下内容に触れるのでご注意を☆
自分の領地では自信に満ちた人物なのに、陸に上がると妻の周りをウロウロ彷徨う大男。そんなヤコブのキャラクターに大きな魅力を感じた映画でした。
だって海から離れたヤコブは別人です。
船の上では空模様や波の様子、乗組員の状態を冷静に観察して判断出来るのに、リジーの事になるとまるで上手く振る舞えません。
豪華客船の火災シーンはハラハラドキドキしましたが、どんなに副船長に「無線信号を!」と言われても岩の様に動かず、雨による沈静化を成功させたヤコブは海に受け入れられている男の様に感じます。
海でのヤコブがこんなに自信に満ちているのは海に何かを求めてきたわけでは無いからなのかもしれません。
ヤコブにとって、海や乗組員は交流する対象ではなく、常に制圧しコントロールする対象でした。
問題が起きたら今までの経験と知識から然るべき対処をして、また船長室に戻れば良いのです。
映画の中でヤコブがリジーに”お話”を語るワンシーンがあります。それはまだ彼が乗組員として貨物船に乗っていた頃の物語でした。
船で到着した島の街並みを歩いた時、その家の中には幸福があった。本当は自分もその家の中に入って壁際に座り、その中に混じりたかった。でもそうはしなかった。
ヤコブの人物像を立体的にしていく重要なワンシーンでしたが、この語りによって彼は幸せになる方法を知らずに生きてきたのではないかと想像させます。
でもリジーに出会って恋をして、次第に彼女を愛するようになりました。そして、彼女に愛を求めてもいる。
でもその方法が分からない。ましてや愛した相手は理解の外にいるリジーなのです。
もしこの時リジーもヤコブに物語を聞かせてくれていたら二人の関係はもう少し近づいたのかのしれません。いや、もう少しヤコブがリジーの物語を上手に聞き出す事が出来ていたら、、、。
ところがヤコブがリジーを理解しようとすればするほどリジーは煙の様にとらえどころが無くなってしまいます。
さらにイルディコー・エニェディ監督は、そんな謎めくリジーに対するヤコブの疑惑をはっきりと明示してくれないのです。
この曖昧さ、最後は観客にゆだねていこうとする監督の意思は、疑惑の始まりであるヤコブが警察へ行くシーンから感じることができました。
「やれやれ気の毒に、、、」と言われながらお酒を注がれたヤコブが、警察官たちから何を聞いたのかは私たちに知らされる事無く、ヤコブがリジーに嘘を付くというシーンまで飛ばされてしまいます。
彼は警察で何を聞いたのでしょう?
ヤコブと私たちの頭の中で疑惑がぐるぐると渦巻く中、デダンが登場します。
ルイ・ガレル演じるこのデダンがヤコブと全く異なるタイプの男なのも、この映画を面白くしていますよね。
スマートで軽やかで、社交界にも慣れている。
陸に上がって戸惑っているヤコブとは対照的に地上の住人であるデダンは生き生きと過ごしています。
デダンの手に触れるリジー。
劇場で呼応するように鑑賞する二人。
リジーの耳元で囁くデダンと、それに楽しそうに答えるリジー。
そんな二人を観ているヤコブの瞳には嫉妬が色濃く出てきます。
ところがヤコブは最後までリジーに「浮気しているのか?」と問いただすことも出来ません。
ただリジーが「あなたにお花をもらったのは初めてね」と言った後に、ヤコブがリジーのマッチ箱に押し花とカフスが大切に保管されていたのを発見したことで、リジーとデダンの浮気を確信してしまいます。
7年後が描かれるラストはとても切なかったです。
リジーだってヤコブを愛していたはず。でもダデンの誘いに乗って株券を盗むという過ちを犯してしまいました。
もしかしたら、ヤコブを失って初めて彼の大きな愛に気づいたのかもしれませんね。
この映画は徹底的に「彼から見たリジ―」しか描かれません。
それは共に過ごす時間が長くなっても、心から愛していたとしても、他者である限りその人物のある一側面しか知ることが出来ないという人間の持つ限界と孤独を描いているようにも思えます。
ではヤコブはリジ―と出会うべきではなかったのか?
リジ―を愛するべきでは無かったのか?
陸に上がるべきでは無かったのか?
そんな事はない、と私は思うのです。
わたし達はヤコブに見つめられながら船長室を後にします。誠実さが一番の美徳で、心配し過ぎるところが玉に瑕の船長ヤコブ。不器用で愛情深いヤコブ。
きっとヤコブ自身もリジ―と巡り合うことで、新たな自分とも出会ったはずです。それが例えウンザリする自分だとしても、ヤコブの進む海路には今までと違う風景が流れているのではないでしょうか。
彼が語る妻の話と、妻を愛した彼の物語を堪能できる169分でした。