循ることそれ自體が いのち

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どっぷりシャウベルガーに

水にはまっています

自然は脈動する

を讀み終え

今は

渦卷く水の超科學

に取りかかっています

シャウベルガーは金属と水

金属と土の關係にも言及していて

銅との相性の良さ

鉄との惡さを教えてくれます

鉄で土に触れると水分量も減り

錆から病原菌が繁殖

摩擦熱や壓力で微生物が死滅し

肥沃さを失うのだと

銅メッキを施した道具で土に触れると

明らかに水分量も土の榮養エネルギーも增えるのだそう

鉄器が造れるようになることで

農業は飛躍的に發展します

しかし

それは勘違いの始まりでもあったのではないか?

鉄が造れるようになるまでは青銅の期間で

この頃までは自然との對話が成り立っていたと考えられます

鉄が導入されるようになり

自然の營みを統御できるのではないかという

操作願望

支配欲のようなものが生まれたのでは?

私は以前から足の裏と土との分斷が

自然からの乖離に繋がっているのではないだろうか

と考えています

足の裏というセンサーが

土からの情報を採ることが出來なくなることで

自然の脅威を忘れ

己の優位性を勘違いする

他の動植物への優越感は神の創造にも繋がり

人種差別や格差を引き起こす

車輪と生き物の足とでは求める地面が違います

今は車輪の爲の地面しか無く

土は呼吸も出來ず

水も與えられず

痩せ衰えています

水と土は互いに榮養や酸素を受け取り與えながら

豐かになっていき

そうして海に注ぐから

海も豐かになります

沿岸漁業は壞滅的で

養殖も青息吐息

先頃

殘念ながら亡くなった畠山重篤さんは牡蛎養殖をされていて

森は海の戀人

と气付かれ

東日本大震災で被災しながらも

森の整備を行う活動を續けられました

森は海の戀人というよりも

森は陸の海です

いのちは生命力と触れ合うことで

エネルギーを增します

電解質である海は

エネルギーが溶け込んだ場

森は互いの交流によって

エネルギーを交感している

多彩な植物が關連しあうことで

森は生き

土と水が豐かになります

單一種農業ほど負荷の高い方法は無く

雜草を排した畑や

稲刈り後の穭田など

土が剥き出しになっているのは

バリアを失った皮膚同樣

銅鐸という遺物があります

30㎝程度の小さいものは

恐らく鐘として使ったのでしょうが

埋められている銅鐸は

1mを越すものなどもあり

鐘として使うにしてもあまりに大きく

利用法が解明されているとは言い切れない

神事に使ったのではなどと言われますが

彌生時代中期に造られたと考えられる銅鐸は

土に埋める事こそが目的だったのではないだろうか?

この頃は丁度鉄器が使われ始める時期と重なります

自然觀察力に長けていたこの時代の人たちです

鉄器の導入によって作業は捗るようになった

反面

作物の収量が芳しくなくなったでしょうから

鉄と銅の違いにその原因理由を求めたとしても

おかしくありません

人は鉄器によって自然のエネルギーを奪い續け

翻って自らのエネルギーも失い續け

そろそろ枯渇寸前

私たちの足に土を取り戻し

水と土の關係を復活させ

銅を活用していくことで

エネルギーは再び甦ります

最後までお付き合いいただき

ありがとうございます

以下の有料部は

單なるご挨拶だけとなっています

もし良いなと思っていただけましたら

お气持ち頂戴いただけたら嬉しいなと

ライブなどの投げ錢みたいなものと

お气輕にお考えください

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207文字

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