治る人と治らない人の違い

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ワクチンが人類を感染症から護るのだと

考える方とお話しをする機會がありました

その方からすると私は

人間を救おうと努力されてきた

醫學を發展させてきた先人達の苦労を蔑ろにする不逞な輩のようです

彼者と私は

恐らくは同樣の情報を得ていると思われるのに意見は真反對になる

話しを重ねる内に气付いたことがあります

彼者の話しは頭で理解したことだけで

腑に落ちていない

つまり

軆體性が抜け落ちているんです

昔の醫者

漢方醫は

脈を診るだけで妊娠の有無が判ったとか

目を診て

舌を診て

胸の音を聴いて

そのからだに何が起きているかを知りました

それは確かに

今のように機器が發達していなかったから

なんでしょう

そうして今

お醫者が患者を診ること無く

數値と畫像しか診ないのは

醫學の進む道がそうだからですね

つまり

醫學は元々からだを相手にしていなかった

醫學が相手にしているのは

症状

です

その

からだ不在の醫學は

ですから當然のようにからだの反應を無視し

腦内での計算で成り立つ藥を用います

醫學では

體は交換可能な部品の集合となります

頭で考えればそうでしょう

しかし

本當にそうなんでしょうか?

30~60兆といわれる細胞の集合體であるこのからだは

0,2㎜の一個の受精卵から

細胞分裂を繰り返して成っている

全部でひとつのものです

2021年から検査をしても何ら異常の見つからない不調が物凄く增えていると言います

その方々は終いには神經の病气にされるのだとか

そういう不調を抱えて亡くなった方を検べてみると

心臟がとろけてしまっているとか

血管内に異常なものが詰まっているとか

そういったものが見つかるケースも多いとか

死ななければ解明されないのは

生きている目の前のからだを診ていないからでは?

果たして脈診の出來るお醫者がどれだけあるでしょう

私が米澤浩を師と選んだのは

その考えの根底がからだ有りきだからです

私たちは

歩き方

挙動

體溫

などは最低限視ています

甲野善紀さんや光岡英稔さんをリスペクトしフォローするのは

その言葉がからだの感覺から紡ぎ出されているからです

養老孟司さんや福岡伸一さんの言葉が腑に落ちるのは

彼者たちは虫好きで

自然がまず基礎にあって

そこから考えるからです

だから

もっとも軆近な自然であるからだを蔑ろにしない言葉が生み出されているのです

机上の空論と言いますが

理屈だけで考えても

實際と合わないことの方が多いでしょう

事件は會議室で起きてるんじゃない

という有名な臺詞がありますが

醫學も同樣のことが行われてはいないでしょうか?

歷史的事実に照らし合わせてみても

ワクチンが感染症の予防に役立ったことは

一度たりともありません

先人の苦労と言っても

その方向が間違っていたら

それを諸手を挙げて賞賛することはできませんよね?

ワクチンなんかよりホメオパシーの方が遙かに効果的だし

輸血なんかよりルネ・カントンの海水療法の方が確實に効果があります

スリだって錠開けだって詐欺だって銃を扱うのだって

それなりの訓練が必要です

今の醫學は

怪我をした兵士の痛みを失くし

再び戰場へ出て行って死んでもらう爲に始まった

戰爭と治療と兩方で儲けるために考え出されたものです

だから

根本的な原因など不必要で

救急の對應にはこの上なく力を發揮出來ますが

慢性的な疾患には一切太刀打ちできないんです

そして今そこは

理屈を確認する實驗場に過ぎません

治る

とは一切の処置をする必要が無くなった状態を言います

花粉症の症状が今年は藥のお陰で樂だった

というのを

毎年繰り返しているのなら

何ら治っていないということですね

醫學が本當に發達しているのなら

國民の7割が不調を訴えている現状はあり得ません

腦細胞は千數百億と言われますが

からだ全體からすれば1%にも滿たない

軆體感覺を失った人が醫者の言うこと

引いてはメディアの垂れ流す情報を鵜呑みにし

種苗法や種子法などの改廢

LGBT法案などにも疑問を持たない

その先には

SDGsやムーンショット計畫が待ち受けています

軆體感覺を忘れていない者は

それらを信用出來ません

違和感を拭えません

そして

軆體感覺を持つ者は治り

持たざる者は治ることは無いのです

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