十七條憲法と同調壓力

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十七條憲法

一曰 以和爲貴 無忤爲宗

   人皆有黨

   亦少達者

   以是 或不順君父

   乍違于隣里

   然上和下睦 諧於論事 則事理自通

   何事不成

十七曰 夫事不可獨斷

    必與衆宜論

    少事是輕

    不可必衆

    唯逮論大事 若疑有失

    故與衆相辮 辭則得理

WIKIさんに

"冒頭(第一條)と末尾(第十七條)で「獨斷の排除」と「議論の重要性」について繰り返し説かれているのも大きな特徴で

その「議論重視」の精神が五箇條の御誓文の第一條

「廣く會議を興し、萬機公論に決すべし」にも

(ひいては近代日本の議會制民主政治にも)受け繼がれているとする意見が"

ある

とあります

3、4年前からしきりに『同調壓力』と言われるようになりましたが

これと『和の精神』とは相容れない

ということですね

自分を押し殺すということは

文字通り

『自分を殺す』ことに他なりません

他者の評価で自分を定めること

迎合することは

それがどんなに些細なことであっても

自軆の生を放棄することに他なりません

子供を褒めてはいけない

もちろん叱ってもいけない

というのは

その子供の評価軸を他者に設定することになるからです

子育てとは子供の全てを肯定し受け容れることです

そして

「ただ私はこう考えるけど」

と意見を傳えること

それが"以和爲貴"ということです

ディベートというのは

事實から考察出來る異論を付き合わせることで

意見を戰わせることではありません

日本人は

「意見」と「事實に基づく考察」の區別が下手で

人格攻撃になりがちなのは

何故なんでしょうね?

十七條憲法に記載されているということは

それが當たり前だからではなく

「そうなろうよ」

って言ってると考えた方が良いのかもしれません

つまり

日本人はこれが實は苦手だと言うこと

「智に働けば角が立つ

 情に棹させば流される

 意地を通せば窮屈だ

 とかくに人の世は住みにくい」

とは『草枕』の冒頭ですが

日本人は"情"というものに篤い人達だと考えられます

自然や心には善惡はありません

しかし

情が絡んでくると厄介で

どこに情をかけるかによって

贔屓が變わり

正誤を無視して情で判斷するから

結局

情が仇になり

贔屓の引き倒し

なんてことにもなってきます

情に篤いことは惡いことでは無いだろうと思います

しかし

やはり情に絆されてはいけない

人間として生まれたからには

情理を辨えて

體驗經驗を基に

一個の人間として自立し

常に新しい今という瞬間に向き合い

更なる體驗經驗を經

變化し續ける

それが

生きる意味のひとつなんじゃ無かろうかと思います

私は實は同調壓力と感じたことはありません

單なる「意見の相違」に過ぎず

食い違いが無くならないのならそれを受け容れるだけ

私は私の考えで行動し

彼者は彼者の考えで行動してください

と言うのみ

だって

違って當たり前で

違うからこそ面白いのに

それを同調や攻撃してどうすんだ?って

違うからこそ

色んな意見を知ることが出来

そうして真理に近づいていけるのに

違うからこそ

私とあなたが存在する理由があるのに

若者の自殺が增え續けているのは

同調壓力に屈した大人しかいない世界で

彼者の存在理由を傳えられていないからでは?

大人が情に絡まれてどうなったって勝手ですが

それが次の世代を生きる者にどう影響を與えているかは

考える必要がありますね

日本を滅亡させるか否かは

あなた次第

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