【第三の脳 皮膚へのアプローチ】触れることの可能性 からだの哲学 vol.4

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身体、心、行動、未来を変えてしまう『チネイザン』というタオのセラピーがあると知り、そのすごさを体験してからというもの、定期的にいろいろなマッサージやトリートメントを体験してみる習慣ができてしまった私。

「ちょっと肩こりが軽くなったかな」という程度のものもあれば、「施術を受けた日は泥のように眠くなって、翌日は心身の不調がすっかりなくなっている」というすごいものもありました。

それまでは身体のどこかに不調があれば、早く寝るとか、薬を飲むとか、ストレッチとか、そういう対処の仕方をしていましたが、"触れてもらう"という選択肢もあるのだなと、最近、思うようになりました。

病気や怪我に対して、回復に向けて処置を施すことを、日本人は「手当て」という言葉で表します。

手を当てることの不思議な力を、昔から私たちは無意識のうちに知っていたようですね。

触感に関する言葉も、触る(さわる)、触れる(ふれる)というように微妙に使い分けしていますし、

肌で感じる、学者肌、一肌脱ぐなど、肌感覚で表現する言葉もたくさんあります。

今でこそ「肌は色を識別する」、「肌は耳に聞こえない高周波を聞く」というようなことが科学で解明されましたが、それ以前に、「肌には何かある!」と私たちは知っていたのかもしれません。

コロナ禍の「ふれあう」という機会が減ってしまった今だからこそ、「触れることの可能性」というのをもう一度考えてみたいと思い、今回は、チネイザンの施術家、井生一美さんにお話しいただきました。

▼ アーカイブ動画はこちらからどうぞ(2021年11月18日)

https://youtu.be/de5GMK-7SQo


🌼お話しいただいた、井生一美さんのHP

  https://bloomio.jp



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