「何を食べたら良いか?」が解らないって生き物として失格でしょ? 食の基本

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種は

植物のいのちの素ですから

當然最も護りたい

けれど

自ら動くことを止め

そこに在ることで

土の淨化フィルターとして

水の統御装置として

大气の構成から太陽光の活用を可能にする

地球環境の源として

いのちふるさとである海を

地上全域に再現する爲の装置として生きることを選んだ植物は

その生育場所を擴げる爲に

環境を利用する必要があり

それより効率的には

動物に託すという方法を用います

その時のお駄賃であり

文字通り餌となるのが果肉です

植物も生き物ですから

當然食べられたいなどと思っているハズが無く

だから

根も茎も葉も花も毒を有しています

しかし

毒は藥ですから

その毒を利用する爲に

結局食べられたりしちゃうんですが

食べられる前提では無い部位が持ち合わせていない消化酵素を

果肉が有しているのは

それだけ見ても

"食べ物"と"食べることができる物"の違いが解ります

それでも懲りずに

動物は自前の消化酵素を作り出してまで

果肉以外をどうにかして食べようとしてきましたが

やはり太刀打ち出來るものではありませんので

微生物という援軍を頼んで

彼者が分解して蓄えたエネルギーを

宿賃として頂戴しているに留まっています

とくに種は

動物の消化管を素通りして

新しい地に落とされるのが目的ですから

動物の胃腸の敵う相手ではありません

しかしながら

種はエネルギーの塊ですので

動物にはおいしく感じられてしまう

ここでしかし

エネルギーってのは何だ?

っていう話になると

"振動"ということになります

あの人の顔を見ると元気になるよね

っていうのは

高いエネルギーの振動に共鳴しているってことです

だから本當なら

いのちの源を生きたエネルギーを有したまま摂り込み

素通りしてもらえば

振動に共鳴さえ出來れば

それで良いのです

ところが栄養という勘違いが

大きな間違いを産みます

種は

エネルギーの成分として糖を含んでいます

だから

おいしいということでもあるんですが

この糖は

蛋白質と親和性が非常に高いので

素通りさせないと

へばり付いて離れにくくなります

殻を有し

生きたままの種は素通りしますが

殻を剥き

粉にし

加熱し

など

樣々加工を加えた"種"であったものは

口に含んだ時點から吸収が行われ

胃を除く消化管すべてに張り付き

排泄を拒みます

さらに

血管を通して爪先から腦に至るまで全軆に行き渡ります

その糖が冷えて固まることで

樣々な不調が現れてくるのですね

中軆が空洞のものと

中軆が詰まっているものとで

どちらが共鳴しやすいか

振動しやすいかと言えば

あらゆる樂器がそうであるように

當然

空洞の方に軍配が上がります

だから

からだは「空だ」「殻だ」で

溜め込むんじゃ無く

空っぽであるように

素通りしてもらうべきなんです

循環が大切というのも

循環とは振動ですから

振動が止まれば

當然

エネルギーも滯るので

不調になって當たり前

ですね

糖で固まったからだ

糖が蓄積したからだ

エネルギーを摂り込んでいるつもりで

エネルギーを低くしているのです

【からはだふくらか】の仕術で行っていることは

この固まった糖によって滯った循環を

今一度促すものです

そうして

循環が起これば

エネルギーが高まり

好調になる

單純な話ですね

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