凡てはあなたの願い通り

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人格とは何なのか、明確に定義出來る人はいません。
それは假令個人の中でも、昨日と今日、朝と夕では微妙に、いやときには大きく違っている。
ただそれは如何なるときも矛盾なく連續しているように感じられるから、結局ひとつの人格であると認識されているに過ぎない。
だから本來、人格はひとつふたつと勘定出來るようなものじゃない。
貳重人格というのは人格が貳つあるという意味ではありません。
それは、それらがひとつの人格であると認識されない、或いは認識出來ない程乖離してしまっている状態のことをいうのです。
壹人の人間には人格がひとつしかないと思うことこそ、腦のまやかしなのです。
つまり連續した意識と秩序だった記憶の再生こそが、所謂人格を形成する條件な訳だ。
だから腦なくして人格は語れない。
そして腦のどの部分が現在意識を生み出しているのかが重要な鍵になって來る。
通常我我は、腦の色色な部分とアクセスして社會生活を送っている。
しかしこの回路のどこかが接触不良を起こすことがある。
普段使われている腦より壹段低い腦としか繋がらなくなってしまったらどうなるか。
當然人格は変わってしまいます。
人間としての細やかな情緒や感情が解らなくなる。
酷いときには言葉すら失う。
動物の本能だけで行動したりする。

『姑獲鳥の夏』(京極夏彦) のみんなのレビュー・感想ページです(94レビュー)。この作品は518人のユーザーが本棚に登録している、講談社から本です。

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