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個性が大事という風潮がありましたね
最近はあまり聞かれなくなったようですが
どうなんでしょう?
日本の教育はどうも平均を目指しがちで
良く出來る者を見ず
成績の惡いものに注力しがちです
“義務教育”という言葉の意味が勘違いされてしまっているのかもしれません
義務教育というのは子供には等しく教育を受ける權利があり
周りの大人は子供に教育を受ける機會を與えなければならないという
ここが義務ですね
ということは機會を與えることまでが義務で
子供がその機會をどう使おうとそれは子供の權利になります
つまり“義務教育”の本義からしても
子供は自分が學びたいことを學べば良く
ワケの解らない樂しくも無いことを學ぶ必要は無いのですね
ところが“義務教育”だから最低限これだけは皆が等しく修學しなければならない
と考えている向きがあります
そうするとどうしても成績の惡い者に注意が向きがちになります
これは成績の惡い者にとっては苦痛ですし
成績の良い者も面白くありませんね
學びというのはそれを學ぶことによって自分が變化するのが悦びなのであって
求めていない變化をすることが嬉しいワケが無く
變化する機會を奪われて樂しいハズが無いのですよ
これは結局どちらの成長も止めることになります
人は生まれようとして生まれてきたのでは無いので
本來生きる意味など解らないのが當たり前で
それでもいつか
生きる目標というようなものを設定します
そうでないと苦しいからですが
子供の内は親や大人に言われた言葉によって
無意識に設定が組み込まれていきます
それが
だらしないとか
何で出來ないの
頭が惡いんだから
といった劣等感を與える聲かけをされると
スンナリ受け入れられ
そういう設定で生きることになります