【ジェンダーに橋をかける本を読む 第3回 『甘えの構造』】

こんにちは(^ ^)

人と仲良くなりたい時、あるいは、人と距離を取りたい時、どんなことをしますか?

話しかけてみたりとか?
近づかなかったりとか?
褒めてみるとか?
無視するとか?

いろんな方法はあると思いますが、ある言葉の使い方が人間関係をちょっと変えたりすることもあります。

その言葉は…

「私たち」


「私たち」「僕たち」「うちら」「僕ら」「俺ら」バリエーションはいろいろですが、とにかく一人称複数代名詞ですね。その使い方に着目してみるとちょっと面白いことが分かります。

1)「私たちって似てるよね」

2)「私たちは行かない予定です」

両方とも「私たち」を使っていますが、1番と2番では実は使い方が違っているんです。

何が違うでしょうか?


……

この一文だけで違いが分かる人はほとんどいないかもしれませんが、何が違うのかというと、「聞き手を『私たち』の中に含めているかどうか」です。

「私たちって似てるよね」と言う時には、聞いている人を「私たち」の中に含めていますよね?「私」と「あなた」の2人の「私たち」が似ているということ。

一方、「私たちは行かない予定です」と言う時には、聞き手の「あなた」が参加するかもしれない何かには「私たち」は参加しません、ということです。つまり、「私たち」は「あなた」と対照されて、聞き手は含まれていない。

この2つの使い方は難しく言うと1)包含的な(inclusive)用法2)排他的な(inclusive)用法となりますが、この方法で「私たち」を使うと人間関係に何が起こるのか?

ここまでくれば大体予想がつくと思いますが、1番の包含的な方法で聞き手を「私たち」の中に含めて使っているなら、「私」と「あなた」は1つのグループの中に入っています。それは「私」と「あなた」の距離が近いと思われている、あるいは、距離を近づけたいと思っていることの表れかもしれません。

「私たちの未来はこんな風になっていくと思います」

こんな表現では「私たち」は同じような未来を共有する、同じような人たちと思われている可能性が高いということですね。

一方、2番の排他的用法で聞き手を「私たち」の中に含めないで使っているなら、「私たち」を「あなたたち」から引き離したいという思いの表れかもしれません。

「私たちはあなたたちとは違います」

こんなふうに言われたら、「私たち」と「あなたたち」はだいぶ距離が離れていますね。

ということで、「私たち」の使い方に着目してみると相手の理解やコミュニケーションの理解が深まるのではないでしょうか?やってみてくださいね。

私はジェンダーに橋をかけて「私たち」のジェンダーにしていきたいということで、読書会をやっています。次回は9/24(土)20時からで、『甘えの構造』(土居健郎)を読みます。本を読んでなくても聞いてみたいだけでもOKなので、ぜひどうぞ。

『新しい声を聞くぼくたち』(河野真太郎)の第4章も関係していますので、そちらも参考にどうぞ。

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