【ジェンダーに橋を架ける本を読む 第1回】「イクメン」を社会的・歴史的に考える

今の時代では、子供の小学校の卒業式には夫婦で参加する人が多いのでしょうか?

私の時代では、母親だけの参加がほぼ全員でした。

そんな中、私の小学校の卒業式には、父親だけが参加しました。

私の母親は小学校の先生をしていて、自分の担任のクラスの卒業式に出る必要があったためです(公立の学校は同じ日に卒業式)。

運動会にも来たことはほぼありません(当時は全ての学校が体育の日にやっていたため)。

そういうわけで、私の家庭は他の人とは違うんだなあということを日々、突きつけられながら、

「家族」とは何なのか?
「幸せ」とは何なのか?

そんなことばかり考える子供になりました。

結果、大学でも哲学を専攻して、考え続けて大学院にまで行って(専攻は異文化コミュニケーションに変えましたが)、「気遣い」の研究をすることになったのも、「気遣い」がジェンダー非対称に配分されているという事実に対する疑問があったからなのだろうと今となっては思います。

私の家庭は、当時のジェンダー役割からは少しズレたものになっていたと思うから。

そうして、子供の頃から今までずっと考えてきて、研究もしていたジェンダーですが、最近、『新しい声を聞くぼくたち』(河野真太郎)という本を読んで、過去から今までの「男性性」の読み解きが面白いなあと思ったので、本を読みながら考えるイベントにしてみました。

第1回目は第8章の「ぼくら、イクメン」を読みます。

「イクメン」を昔から今まで辿っていきますが、私がこの本を取り上げるのは、著者のスタンスがとても大切だと思っているからでもあります。

「本書で論ずる問題について、外部的な立場は存在しないということです。自分の靴紐をひっぱって体を持ち上げるような不可能を、それでも私たちはたゆまず試みなければならない。マジョリティとしての男性を、その男性の視点から批判的に、複雑さを手放さずに考えるということは、そのような試みでしかあり得ないということです。」

今まさに生きている時代を、社会を、自分自身も含めて批判的に分析するというのは、まさに「不可能」とも言えるような難しい作業です。

そんな複雑な試みを一緒に紐解いてみませんか?

参加される方は本を買って第8章を読んでみてくださいね。

また、第8章では著者の方が本の中で取り扱った作品の中で格別思い入れがあると言っている映画『クレイマー、クレイマー』が話題に上がりますので、そちらも時間があれば見てみてください。(余裕があれば、映画『マリッジ・ストーリー』、「そして父になる』、小説『キッズファイヤー・ドットコム』も)

私はこの本を知ったのはこちらの記事↓なので、そちらも読んでみると面白いかなと思います♪

当日のご参加はこちらのZOOMから、子育て中の方もそうでない方もどうぞ↓

https://zoom.us/j/91399077681
パスコード:606552
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