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「思考」は“自分”ではありません。私たちは日々、心の中で「自分と会話」をしています。あの人に嫌われたかも。私はダメだ。うまくやらなきゃ。だが、それを観察してみると、思考は“勝手に”湧き上がり、次々に形を変えます。それは雲の様に自然発生的であり、私たちはその思考の流れを止める事ができません。にも拘わらず「考えている自分」が“本体”だと誤解しています。仏教ではこれを「仮観」と呼び“識別する心”の働きだとします。思考(自我)は「真の自己」ではなく、情報を処理する機能(道具)です。スマートフォンのアプリが自動更新される様に思考もまた“反応のアルゴリズム”として動いています。「本当の自分」とは、その「思考」を上空から俯瞰して見ている何か偉大なもの(魂)です。感情もまた「通り過ぎる現象」です。怒り、悲しみ、焦り、喜び、、これらの感情は、心の天気のようなもの。天気は変わる。晴れの日もあれば、嵐の日もある。だが、天空そのものは、どんな天候にも汚されない。感情を“自分”だと思うと、苦しみが増える。「私は怒っている」ではなく、「怒りが、ここにある」と気づくこと。この“言い換え”だけで、あなたは、「感情」と「自分」を切り離し、観察者の視点に成れます。自我の「自己同一視」という錯覚・幻想(仮想現実)から解放されます。
