自分とは誰か?(自我の構造)

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「思考上の自分」(自我)と「気付いている自分」(本当の自分); 私たちは、日々“思考の声”とともに生きています。「私」という感覚のほとんどは、過去の記憶・他人の評価・役割・比較、そうした情報の集合体です。しかし、それは、「自我」(エゴ)がつくり出した「仮想の自己」であり、本質の自分ではありません。仏教では「五蘊(ごうん)」という言葉があります。これは、人間を構成する五つの要素、(身体)・受(感覚)・想(イメージ)・行(思考)・識(意識)のことを指します。つまり、「私」という存在は、固定した実体ではなく、常に流動する“プロセス”であるという意味です。この理解は現代心理学や量子物理学にも共通しています。「観察するもの(意識)」があるからこそ、「私」という個の「現象」(自我=仮想現実)が立ち現れています。「自我の構造」=自我は、安心を得るために「他人との比較」を必要とします。誰かより優れている、愛されている、役に立っている。この“仮の証明”によって、「自我」(仮想)は存在を維持しています。しかし、比較のエネルギーで生きる限り、永遠に“足りない”という不足が続きます。その構造を知ることが、「気付き」への第一歩です。「気付く」ことの力。気付くとは、何かを直すことでも、変えることでもなく、“ただ観る”ことです。怒りを観る。焦りを観る。不安を観る。その瞬間、あなたは既に、「思考の外側」に立っています。それが、「観察者の意識」であり、「本当の自分」に最も近い地点です。つまり、あなたが、自分を探すことを止めたとき、「本当の自分」は静かに姿を現します。


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