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「思考」とは、「分ける」働きです。あなたの中では一日中、何かを考える声が流れています。良い/悪い、正しい/間違い、得/損、これらはすべて「思考」が行っている「分別」(=分ける行為)です。「思考」とは本来ただの「言葉」の世界の機能に過ぎません。でも私たちは、この“分ける”力を絶対視してしまい、「思考」=「自分」だと信じてしまっています。「思考」とは「言葉の世界」であり、分別・判断・相対比較よって、“偽りの自分”をでっちあげる機能(道具)です。自我(エゴ)は刷り込みによってできています。もう一つの真実は、あなたの「自分らしさ」は、実はあなたが作ったものではありません。自分は親や学校の教育、社会の常識をあなたが受け入れる過程で作られたものです。「自我」とは外側から与えられた価値観を寄せ集めてできた「仮の人格」です。そう“自我”とは、外側から与えられた価値観を寄せ集めてできた「仮の人格」です。小さな頃に言われた「いい子ね」という言葉、学校で植えつけられた“正しさ”、社会で学んだ“成功の定義”。それらが、層のように重なって、“あなた”という「個人」を形づくっています。しかし、その“あなた”は、本質のあなたではない。「自我」は、「評価関数」で世界を見ている。「あなたは、あなたの評価関数(RAS)によってモノを分けて見ています。全ての人は、評価関数によって自己を定義している。」つまり、「自我」とは、“自分が大事だと思うもの”を中心に世界を切り取っている存在です。それ以外のもの。自分にとって価値が低い、関係ないと感じるものは、視界からスッと消えてしまう。これが「スコトーマ(認知の盲点)」という現象です。■「思考の外」に出るということ。では、どうすればこの“思考=自我の檻”から抜け出せるのでしょうか? 答えはシンプルです。思考を止めようとしないことです。ただ、「在るがまま」に“観る”(観察する)だけです。あなたの頭の中で「判断しよう」としている声に静かに気づくことです。 「思考を観察する癖をつけて行くと、“本当の自分”が目覚めて行きます。」 “思考を観る”ことができた瞬間、あなたは、「思考そのもの」ではなく、それを見ている「意識」そのものになります。 それが、「本当の自分(真我)」の入り口です。
