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「われ思う、故に我あり」。私たちの思考は17世紀の「デカルトの考え方」で止まっています。「デカルト」は、「私=思考」と考えました。「サルトル」は、考えている「私」を観察する別の「私」=「本質」に気付きました。「本当の私」と「本質の存在」は「思考」とは別の処に居ます。「思考≠私」(真実)。頭の中の考えを自分自身と思わず第三者の立場からただ観察する事です。エゴに気付けばエゴは自然に消えます。「気付き」とは、「いまここ」この瞬間に集中する縁起(無分別)です。「今に在る」ことで=物事の本質に気づく事が出来ます。
招待を受けると副部長としての活動が出来ます。
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