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私たちは、つい「まだ足りない」、「もっと欲しい」と「不足」ばかり気を取られます。でも、その「もっと」に追われているうちに実は、「いまここ」に「在る恵み」を見落とします。真実は、あなたは既に十分過ぎる程に恵まれています。宇宙は与えてくれています。ただ、それに気づく「心の目」が閉じているだけです。そう思えた時、心はもっと穏やかに、もっと自由に、もっと自分らしくなって行きます。仏教には「知足」(足るを知る)という考えがあります。「既に在る」ものに目を向けます。「既に満ちている」事に心を寄せます。この感覚に気付ける人は、最も楽に生きて行ける人(豊かに生きていける存在)です。幸せの最短ルートです。穏やかに心が納得し、軽やかに動ける生き方です。無理に背伸びせず、無理に争わず、それでも、自分の道を心から信じて歩んで行ける、そんな「在り方」に私たちは静かに憧れています。①「足りないものではなく、在るものに目を向ける」。一般に人は、有るモノよりも無いものに反応し易いものです。満たされた部分より、満たされない部分に目が行きます。欠けている処ばかりが気になります。もっと収入があれば、もっと認められたら、もっと魅力があれば、その「もっと〇〇」の連鎖に巻き込まれた時、心はいくら頑張っても報われないと感じ始めます。そして自分の価値そのものに疑問を持ちます。足りないものを数えていた頃の私です。毎朝起きるたびに、何かが足りないと思ってばかりいました。手に入れても、満たされたのはほんの一瞬です。直ぐにまた別の「不足感」が顔を出します。人生は、まるで終わりのない砂漠を歩いている様な感覚でした。しかも、その「足りなさ」は、誰かと比べた時により強くなります。SNSで誰かの華やかな生活を見れば、自分が惨めになります。友人の成功話を聞けば、自分の立ち位置が情けなくなります。自分にとっての本来の価値ではなく、外側の基準にばかり心が振り回されていました。でも、そうして、焦りや劣等感に包まれる度に、私は「人生の手綱」を誰かに明け渡してしまっていました。「不足」を基準に生きると、自分の現在地は、常に「不足の世界」になります。その視点からは、何を得ても満足することはありません。(これに気づくことが肝です)