このコンテンツには閲覧パスワードが必要です。

あなたの心の中に絶えず何かを主張し、何かを求める声があります。「私が」、「私の」、「私の物」、これが自我の言葉です。この自我は私たち一人一人の中に深く根を張り個人だけでなく、社会や世界全体に分断と葛藤をもたらしています。自我とは何か? 多くの人は、自我の声を自分のモノだと錯覚して生きています。私が考えた。私が選んだ。私が決めた。と思い込み、疑いもなく生きています。その「思い込み」こそが、私たちを無智と苦しみの連鎖に閉じ込めます。自我とは実体のあるものではありません。それは思考による、「私はこうである」、「私はこう思う」。という一連の記憶・経験・知識の束です。記憶や期待・社会的な役割や比較から作り出された「仮の存在」に過ぎません。あなたは、自分の思考や感情・記憶などのガラクタの寄せ集めではありません。もっと深い「思考の背後に在る何か」(本質=真我)です。自我は、いつも「分離と比較」の感覚をもたらします。あいつより優れている。あの人より劣っている。と常に「他者と自分を比較」します。これが私だ。これは私の物。と所有と執着を生み出します。そして恐れや不安、嫉妬や怒りなど数々の否定的な感情が出ます。これが世界中に蔓延する争いや対立、孤独の根源です。では、どうすればこの「自我の檻」から抜け出す事ができるのか?それは自我を否定したり、抑え込んだり、良い自我を目指す事ではありません。自我(思考)をただ「観察」することです。評価も判断もせず、修正しようともせず、ただ「ありのまま」に見つめることです。(つづく)