一休さんの遺言

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起きている事は、「諸行無常」(変化)で「ニュートラル」(無極)で意味は付いていない。

「何が起こっても大丈夫」とは、自分(思考)は常に偏っているという事を知っていること。

偏っていたと言うこと(偏見)は、「思考」(二極性)の中に入っていたというだけのこと。

「思考」(二極性)は、自分ではなく、自我(意味付け)です。仏法では、思考=浅はか。

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