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多くの人が、「思考」を自分だと思い込み、「思考」に支配されて生きています。現在のあなたの「知識」は、「二元性」(分別)によるもので相対的です。一方、「本質の自分」(真我)は、「無二唯一」絶対的であり対象を必要としません。覚える事(知識)は、相対的で覚える主体が必要です。「真我」は、ただ「あるがまま」、ただ「存在」するのみ(be)です。つまり、知識(言葉)を超えた処に「真我」が在ります。対象を分ける(分別=分離)がなく、認識を超えた世界なので「言葉」になりません。(不立文字)。「ただ在る」ことのみ(be)が、「真我」を示す言葉です。「真我」に気付く為には、真我には、「二元性」が無い。⇒「非二元」(ワンネス)を受容するのみです。あなたの「知識」は言葉に依る「分別」(分離)で事実でも真実でもありません。