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あなたの日常は「分別」の塊です。「分別がある」と言うと普通は良い意味に使われます。人生経験を積んで物事が良く分かっている事です。ところが、仏教では「分別」と言うと全く逆の意味です。分別とは「凡夫の浅はかさ」という意味です。宇宙の根本原理(法・ダルマ)の理解が不十分で、「浅はか」な自分の頭で考えて、物事を分け隔てて分別(二極化)しています。その「判断の基準」は、生育過程で身に着けたしつけや、教育「浅はか」です。その基準は、単に自分で勝手に設けた拘り(我執)に過ぎません。考えてみれば、私たちの日常は「分別」(二極性)の塊です。幼少期から物事を分け隔てて区別する(正誤・善悪・清濁・勝ち負け)の訓練(洗脳)されて、賢くなったと錯覚しています。学校教育は、「分別」(二極性)による洗脳で、偽りの自分構築の場です。覚醒(目覚める)とは、おおよそ「真逆」のシステムです。わたしは戦後の昭和生まれ世代ですが、その学校教育たるや恐ろしいまでの「洗脳の場」であったと、やっと目覚めた処です。気が付いている人もおられるかと思いますが、私のメルマガの真のテーマは「脱洗脳」です。皆様の目覚めの一助に成ればこの上ない喜びです。