「自分とかない」親鸞・他力

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とにかく仏教は難し過ぎた。座禅や瞑想。大衆はそれより飯をくれ!親鸞は 自分の無力さに絶望⇒絶望の先に希望を見出す。「他力の哲学」=悟れると信じて自力で「空」を目指す禅の真逆です。どんな善い行いも邪念の毒があるから嘘の行為となる。そうではなく 「ダメなヤツほど救われる。出来るヤツでさえ救われるんだから」ダメであるほど「空」はそこにある。(普通は出来るヤツほど救われる。ダメなヤツでさえ救われるのだから)。「他力の哲学」には、「自分が○○しよう」がない。それではどうしたらいいのか? ただ「あるがまま」「いまここ」を信じるだけ(be)。「○○しよう」など余計な事(do)はするな。意味は考えなくていい。諸行無常。川の流れ様に自然に任せておけばいい。「他力」こそがいい。「自分」などないのだから。(どういうことか?)(つづく)

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