一休さんの遺言。

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「何が起こっても大丈夫」とは、自分(思考)は偏っているという事を知っている事です。偏っている事を知っていれば、それが「執着」エゴだと知ります。「大丈夫」と言う言葉は、「源」(全体)に還るという事です。「源」に還るとは、「真我」(本当の自分)「梵我一如」です。偏っていた(偏見)と言う事は、「思考」(二極性)の中に入っていたというだけのことです。起きている事は、常に「諸行無常」ニュートラル(変化=無極)です。あなたは、「偏見の塊」です。偏った情報で事象を言葉で切り取って認識してます。偏っていて居心地が悪いので、何とかしようとしても、入力した情報が偏っているから何ともなりません。これが日常(3次元物理空間)の四苦八苦の原因であり、メカニズムです。「0=∞=1」すべてが在る=「いまここ」=ゼロポイント場(既に在る)=無限可能性場(5次元情報空間)を知っていると言う事が、「大丈夫」の原理であり、メカニズムです。要は眼前の事象を「エネルギー循環」で捉えられるかどうかです。

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