西洋と東洋の考え方。

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西洋は、物が二つに分かれてからの世界に腰を据えて、モノを考えます。東洋では、物が未だ二分しない処から考えます。(無分別智)。西洋は「二極性」(正誤、善悪、勝ち負け)の考え方に立脚し、東洋は、朕兆未分以前(全体)に視座を置く。(鈴木大拙) 西洋と東洋の物事の捉え方の根本の違いです。「分ける」ことは「分かる」こと。と人類は物事を言葉で分別・分類して世界を認識して来ました。自然科学や哲学は発展し文明を築いて来ました。その利便性は理解しつつも鈴木大拙は二極性の弱点も見抜いていました。禅や悟りは不立文字・無分別智(非言語)の世界です。(言葉による説明を退ける) あなたの日常は「分別」の塊です。「分別がある」と言うと普通は良い意味に使われます。人生経験を積んで物事が良く分かっている事です。処が仏教では、「分別」と言うと全く逆です。分別=「凡夫の浅はかさ」という意味です。宇宙の根本原理(ダルマ・法)の理解が不十分な為、浅はかな自分の頭で考えて物事を分け隔てて判断(二極性)してしまいます。その判断の基準は生育過程で身に着けたしつけや教育=「浅はか」です。その基準は単に自分で勝手に設けた拘り(我執)=「仮想現実」に過ぎません。考えてみれば、私たちの日常は「分別」(二極性)の塊です。幼少期から物事を分け隔てて区別する(正誤・善悪・清濁)訓練(洗脳)されて、賢くなったと錯覚しています。学校教育は、全て「分別智」です。


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