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深い所の「本当の自分」(本質)が満たされていないと、エゴ(自我)は「もっと欲しい・もっと欲しい」となります。自分を「生き生きとした生命体」として感じられなくなると、人は「外部のモノ」で人生を満たそうとします。自己肯定感が低いと、「自分以外のモノ」で満たそうとします。「欠けている自分」を「外の何か」で埋め合わせしようとします。しかし、そんなモノで埋め合わせは出来ません。だから「もっともっと欲しい」と消費をし続けます。これが、消費社会が成り立つ理由です。問題の本質は「自分は欠けている」という「考え方」(認識)にあるので、「外側」にある「モノ」では永遠に満たされることはありません。モノだけでなく、「肩書」や「学歴」・「能力」なども同様です。一時的に満たされる事はあっても、長続きはしません。「もっと・もっと」となります。ただ「存在する」だけでは落ち着かず、「何かのモノあっての自分」と考えています。つまり、「肩書」や「財産」や「名誉」など自分以外のモノやコトと、自己「同一化」しています。これが、「執着=自我」の正体です。そして自分に後から付け足した「モノ」を失いそうになると、自分自身も損なわれる様に感じてしまいます。これは、「エゴ」が作り上げた「妄想」アバターです。後から「言葉」を付け加えた「何か特別な私」ではなく、「何者でもない私」こそが、「本当の私」です。 (つづく)