「般若心経」と「非二元」と「ワンネス」(ひとつ)の世界。

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あなたの日常は、「分別」の塊です。「分別がある」と言うと普通は良い意味に使われます。人生経験を積んで物事が良く分かっていることです。ところが、仏教では、「分別」と言うと全く逆です。分別=「凡夫の浅はかさ」という意味です。宇宙の根本原理(ダルマ・法)の理解が不十分な為、浅はかな自分の頭で考えて物事を分け隔てて判断(ジャッジ)しています。その判断の基準は、生育過程で身に着けたしつけや教育=「浅はか」です。その基準は、単に自分で勝手に設けた拘り、(我執=仮想現実)に過ぎません。考えてみれば、私たちの日常は、「分別」(二極性)の塊です。幼少期から物事を分け隔てて区別する(正誤・善悪・清濁)訓練(洗脳)されて、賢くなったと錯覚しています。学校教育は、すべて「分別智」です「無分別智」は、仏教用語で自他の区別を抜け出し、すべてが融合しているという世界観に基づく知恵のこと。パーリ語でパーニャ(Panna)、中国語で「般若」と訳される。つまり、「般若心経」は、無分別智(非二元)(ワンネス)を説いたお経です。



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