分別ジャッジ

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あなたの日常は「分別」の塊です。「分別がある」と言うと、普通は良い意味に使われます。人生経験を積んで物事が良く分かっていて過ちをしないことです。処が、仏教で「分別」と言うと全く逆で、「凡夫の浅はかさ」を表す言葉です。宇宙の根本原理(ダルマ・法)の理解が不十分な為、浅はかな自分の頭で考えて、物事を分け隔てて判断してしまう(二極性)という意味です。その判断の基準になっているのは、今までの経験や生育過程で身に着けたしつけや教育です。その基準は 単に自分で勝手に設けた拘り(我執)に過ぎません。考えてみれば私たちの日常は「分別智」の塊です。幼少期から物事を分け隔てて区別する事(正誤・善悪・清濁)を訓練(洗脳)されて、知恵がついたと思っています。学校教育は、全部「分別智」です。量子力学が出て来る以前の科学は、すべて物事を区別(分離)することにより理論化していますから、仏教的に言うと「分別智」であり、「凡夫の浅はかさ」にしか過ぎないという事です。その「凡夫の浅はかさ」を、量子力学は科学的に立証しつつあります。つまり現代の最先端の物理学(量子力学)が、やっと2600年前の釈迦の悟りに近着きつつあるということです。


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