みずしま の自己紹介

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みなさん、こんにちは!

みずしま と言います!

自己紹介させていただきます⭐︎

1980年4月9日生まれ 岡山県津山市在住です。

現在、通勤時間30分、昼夜2交代制の工場で働きながら、FXで誰も討たずに下剋上を企んでおります。

以下、長いですが、よかったらストーリーを見てやってください。

幼少期

家の東西南北全てが田んぼに囲まれた田舎に生まれました。

村の人気者の祖母

自由人な高倉健似の父

和田あき子が女子プロやってるよーな母

スポーツ万能でスラムダンクの赤木剛憲akaゴリのような次男

スポーツ万能な長瀬智也似の三男

という割と平凡な家族構成でした。

自分は生まれた時から体が弱く、ぜんそくやら風邪やらで、毎日のように病院に連れて行かれる日々でした。

小学校に上がると、勉強していい成績取ると褒められると言うことが快感になり、割と真面目に勉強してました。

中学生時代

スラムダンクがめちゃくちゃ流行った時代。

バスケ部に入るもソッコーで幽霊部員。

こんなヤツが日本中にいた時代でした。笑

でも体を鍛えること、勉強することが大好きで、自分で練習メニューとか作って、朝とか走ってました。

この頃から、意味わからんくらい向上心の塊です。

高校生時代

この辺りから仲間内でじわじわと、スケボーが流行り出す。

思春期を拗らせていた勉強少年は、やがて勉強そっちのけでスケボーにのめり込んでいきました。

ここで、自分は運動神経がキレてることを思い知らされました 汗

全くもって上達しなかった。笑

それでも、ストリートというのは懐の深い文化で、弟2人はガチのスケーター、兄たる自分はDJという、地元ではちょっと有名なストリート三兄弟が出来上がりました。

当時、思春期と劣等感といろいろ拗らせまくった自分は、しょーもない理由で停学何回か喰らって、それでも修学旅行には行きたいという謎の理由で、出席はなんとかクリアし、どーにか高校は卒業できました。

音楽ありきの社会人生活

何も将来のこと考えてなかった自分は、とりあえず服は好きだから、地元イオンのテナントの服屋でバイト生活。

人付き合いを絶ってDJの練習生活。

給料日には給料袋そのまま持って、岡山市内や大阪で全部レコードと服に変えて帰ってくる。

週末は夜のクラブ活動....

新卒という人生で一番のブランドを全力で投げ捨て、髪はドレッドでダボダボの服でクソ接客態度と勤務態度の悪い、どこにでもいる仕事のできない若者でした。

そこから、人生初の彼女ができて、同棲始めて幸せ絶頂期。

誰かのために生きるあたたかさを知る。

そこから、ストリートの洗礼というか、めちゃくちゃ落ちに落ちた生活をして、文字通りボロボロになり。

コロナ禍のドル円もびっくりな天底を経験し、

このまま終われるかい!!

と強烈な野心に燃え

感情剥き出しで一枚のmixcdを作り

県外のイベントにいきなり行って、配りまくってました。

週末の移動距離、車で2、300キロくらい

時には、しばかれそうになり

時には、酒まみれでテーブルの上に投げられたCDを、コソッと持って帰ったりしてましたが、

とあるイベントで、ゲストのショウケース直前のDJとして呼んでもらい、そこでめちゃくちゃ盛り上げる事ができて、

ちょっと有名になり、そこから週末はだいたい、県外のどこぞのクラブイベントで DJしてました。

この時に、環境ってのは自分で変えることができる。

やったらやった分、必ず世の中は返してくれる。

どれだけマイナスな要素があっても、怒りにも似た強烈な「思い」があれば突き抜けていける。方法は体当たりしてれば自ずと見えてくる。

ということを学びました。

この日々は、本当に楽しかったです。

たくさんの面白い出会いがあり、笑いあり、涙あり、青春でした。

鬱からの復活

そんな充実した日々でしたが、仕事で会社の部署が変わり、ハードすぎて鬱になっちゃって、引きこもりました 笑

ひどい時は、日光が部屋に入ってくることも苦痛。一日中、真っ暗な部屋にいました。

自分はなんてしょうもない人間なんだろう

親家族仲間たちにこんだけ迷惑かけて

なんて自責の日々が数年続き

ある日、かつての地元のカリスマ的な先輩が、スケボー、BMXなどアクションスポーツのパークとカフェを併設したカフェを作るって話を聞いて

いてもたってもいられず(この時はだいぶマシになっていた)ロクに話ししたこともない怖い先輩の、改装途中の元工場の現場にいきなり行って、いきなり手伝いだし

そっからの日々がめちゃくちゃ楽しくて、心と体に栄養が行き渡っていき、次第に元気を取り戻していきました。

共にボロボロに汚れまくりながらも、同じ夢に向かって、クセまみれのいろんな奴らが力を合わせる。ワンピースの世界観。

そこを、女達が見守る。

何かの節目を迎えるごとに、みんなで宴。

そして、迎えたオープンの時は、歓喜の笑顔と涙の大爆発。

この日々は、本当に財産です。

BONDS RAMP CAFE

よかったら検索してみてください

ここで、DJ兼、アクションスポーツ(スケボーとBMX)協会の中心的メンバーになり

イベントやボランティアなど、地元のアクションスポーツを盛り上げる為の様々な活動をしていました。

社会復帰とFXとの出会い

お店の改装作業で少しずつ自信を取り戻した自分は

最初は週3日、1日3時間のアルバイトからスタートし、徐々に働ける時間を増やしながら

、最終的に今の職場に辿り着きました。

この時の目標として、3年で100万貯めてそれを前金にしてベンツに乗るというのがあり、3年とたたず実現できました。

派遣社員のクセに、真っ白なベンツに乗ってました 笑 

二交代制の工場勤めの他に、3つ4つ仕事をカッ詰めて、2日くらい寝ずに働くなんてザラの生活でした。

そんな日々がずっと続いてましたが、時給のオールのフル漕ぎの限界に気づいてしまい、

こんなことずっとやって小銭稼いでも、生活はたいしてよくならん

何かないか?とずっと思って、いろいろ探してました。

某クラウ○ワークスでアンケート書いて50円の報酬を得るなんてクソみたいなこともやりながら

FXというものを知りました。

スケーターさん、船団員さんとの出会い

FX始めてすこし勉強して覚えれば勝てるようになると思ってましたが、

やればやるほど負ける

勉強すればするほど負ける

なんて思いにかられ、色々な有名トレーダーの元を転々としていました。

どこもエリオットとか、ダウとか、大事な事をバラバラには教えてくれるけど

全く何も知らない状態から、1からスタートして段階を経て成長していくという、順序だった教え方をする人がなかなかいないな...

と思ってました。

そんな中、Twitterのタイムラインに、ちょくちょく投資家スケーターなんて人のツイートが流れてくる

当時、FX界隈の人間はみんな胡散臭いという偏見を持ってた自分は、

投資家スケーター?いやいや、絶対ニセモノだろ?

なんて思ってました。

自分の中でスケーターってのは、ある種、神聖な存在です。

その分、ニセモノってのが大嫌いでした。

でも、何かツイートに惹かれるものがあり、まあメルマガくらいならと登録。

ある日、タイムラインに、今度は投資家スケーターが実際にスケボーに乗ってる動画が流れて来ました。

....頭を殴られるような衝撃を受けました。

この人は圧倒的に本物だ。

ニセモノなんて思ってた自分を全力で恥じました。

そこで、送られてくるメルマガの熱い熱い文章。

はじめにお読みください の記事で号泣しました。

こんなに心に響く、あたたかい文章を書ける人がいるのか?

一気に大好きになってしまい、そっからリアトレを全部中止し、メルマガ学習と検証マラソンの日々がスタートしました。

そして、船団員の方々との出会い...

決起会への参加...

初めて会うのに初めてな気がしない。

歩んできた人生は全く違うはずなのに、家族のような謎のあたたかさが心に溢れて泣きそうになる...!

あの日、自分が感じた事はウソではなかったなーと実感してます。

かつてのDJ生活、改装作業生活に勝るとも劣らない絆を、スケーターさんはじめ、船団員の方々に感じております。

あの日、スケボーに出会ってしまったばかりに、人生回り道して、味合わなくてもいい痛みを味わって来たかもしれませんが

ここでまた、こんな素敵な出会いがくるなんて...本当にご縁って不思議ですね。

これから

自分は、死ぬ気で勉強してきました。

でも未だ、FXで何とかなるて思えるくらいの利益は出せてない。

今はひたすら検証の日々です。

でも、今までの人生、やると決めた事はそれなりに形にして来ました。

ここでも、必ずモノにしてやると信じています。

それに、もう1人で暗い道を手探りで歩まなくていいんですから。

これからは、どこまでも真剣に、朗らかに、一緒に前進していける仲間とともに、進んでいけるんですから。

長くなってしまいましたが、どーしても端折ることはできませんでした。

許してください 汗

最後まで読んでくださって、ありがとうございます♪

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