"外を見るものは夢を見て、 中を見るものは目を覚ます" -- C.G.Jung --

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外部のものが變わることを望むことは
自分の力を外に投影し
自己の力を弱め
自己と調和を缺いた状態で生きることになります

ユング先生のお言葉だそうです

全く仰る通り!

最近17年振り!?に新刊の出た所謂“京極堂シリーズ”の記念すべき第壹作『姑獲鳥の夏』にこうあります

『姑獲鳥の夏』(京極夏彦) のみんなのレビュー・感想ページです(93レビュー)。この作品は516人のユーザーが本棚に登録している、講談社から本です。

目や耳などを通じて外から入って來た情報の總てを、腦という税關は確實に検閲している。
そして納得の行くものしか通さない。
検閲に通ったものだけ意識の舞台に乗ることが出來るー
我々は誰壹人として真實の世界を見たり、聞いたりすることは出來ないんだ。
腦の選んだ、謂わば偏った僅かな情報のみを知覺しているだけなんだ
私の見聞き感じているものと

同じ空間に居るうちの猫の見聞き感じているものは

その受容器官の性質が違うので

もし猫の感覺を體驗できるなら

全く違う世界に感じることでしょう



うちの庭に飛んでくる鵯や蝶などの感覺はまた違います



同じ哺乳類はそれでも共通する部分が多いでしょうが

昆蟲の感覺というのはどういうものなんでしょうね



そして人間は感覺しうる世界の中から

意識というものを使ってさらに情報を取捨選択して

見聞き體驗したいものだけで『世界』を構築します



私とあなたが同じ空間時間を共有したとしても

私とあなたが見聞き感じているのは別の世界です



そして

あなたが今見聞きしている世界は

まったくあなたが創り上げた假想的な空間に過ぎず

私たちが世界をありのままに受け止めることは壹生涯不可能



逆に總てを感知出來たら動くことも出來なくなるでしょうね






あなたが幸せを感じているのも

不幸のどん底にいると信じていようと

それはあなたが勝手にそう考えているだけであって

總てあなたが生み出した状況に壹喜壹憂しているだけだということです





ユング先生の言葉は

そうして自らが創り出している世界なのに

責任を他者に押し付けようとしても

それは嘘ですよね?

ってことですね



あなたが創り出している世界の責任は誰にあるのか?

ってこれ程明確な答えはありません





これはからだについても同じです



そもそもの感覺器官自體がからだそのものなのですから

感じたものが總てであり

それが真實です





今のあなたのからだの状況を作ってきたのは

紛れもなくあなた自軆です





巷間で“からだに良い”

と言われるものがあなたのからだに良いものかどうかを決定するのは

あなたのからだ以外にはありません



からだの仕組みは單純で

足りなければ欲求が湧き

過剰になれば毒になる



それだけです



生きていく上で必要不可缺な水も酸素も多すぎれば毒になります



じゃあその適量をどうやって判斷するのか?



っていうのはもう感覺するしか無いのです



數値化したってそれは目安でしか無く

あなたに要か不要かの判斷にはなり得ません



佳い加減

適當



を判斷するのは感覺のみです





今日は佳い日だったと思うかどうか



決めるのはあなたです



外に判斷基準を設けるのは修正の爲であって

決めるのは自分自軆だと承知しておく必要があります



自責を逃れて生きることは不可能なのに

それを求めたら瓦解するのは當然ですね





自分の人生の責任は總て自分にあるんだという極々當たり前のことを

諦めて

望むように決めていく



それにはまず

自分が何を見聞き感じているのか

つまり何を求めているのかを

改めて知る必要があります



考えるな

感じろ



にも通じてきますね
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