夫婦が似てくる理由

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段々と夫婦は顔が似てくるなどと言いますね

藝能もそうですが技術は視て盗めと言います

噺家さんなども弟子は住み込みで師匠の軆の廻りのお世話をするだけで

教えて貰ったりはほとんどしないというのがかつての方法でした

寝食を共にすることで

師の立ち居振る舞いを全軆で感じ續けることで

教わるより大事な何か得られるものがある

まあかつては直接會うしか方法がありませんからね

技術は宮本武蔵のように書に認めても

それを讀解するにはそれだけの力量が必要になりますから

これから學ぼうという者には適しません

同じ釜の飯を食う

なんてことも言います

實はここに夫婦が似てくる秘密があるんじゃないかと

思ったワケです

夫婦で連れ添って同じ食事を續けていけば

どうしたって腸内細菌叢は似てきます

腸内細菌叢のバランスによって性格は變化するものですから

何拾年も連れ添って同じ食事をし續ければ

夫婦が似てきても當然ではないかと


相手を選ぶ時は壹諸に食事をしろとも言います

食が合わなければ續かないと考えられているのも

やはりそこに大きな意味があるということが

經驗上からも判っていたのでしょう

ですから

縁を切りたいのであれば相手と違う食を選ぶようにすれば良いということにもなります

科學は自然の9割以上が未解明です

當たり前の話で

まず自然が在りまずからだが在り

それを後から考えてるだけですので

自然を凌駕することは疎か全てを解明することなんて

出來るものではありません

遺傳というものも實は解っていないことだらけで

染色體の占める割合は案外小さそうです

先天性の疾病というものの染色體の異常はそれ程多くなく

その殆どは親やその親からの食事など生活習慣による症状を受け繼いでいるものか

出産時の不手際です

癌が癌と認められるまでに成長するには15年はかかると言われますから

小児癌というのは説明が付かない病气になってしまいます

壹方で出産は女性にとって大きな解毒の機會とも考えられていて

中國には實際そういう目的の病院だかがあるとか

私たちを含むいのちは太古の海で生まれて以来壹度も途切れること無く續いていて

その いのちを繋ぐということと遺傳は切っても切れないものです


いつか必ず死ぬ者同士がその盛んな状態のいのちを分けて貰うことで繋がってきたいのちなら

そこに遺傳が起きて何の不思議も無いとも思えます

子孫を殘せない属性を與えられたいのちをいただくことは

子孫を殘せない道を進んでいくことになるのだろうし

肥大、ゲノム編集なども受け繼いでしまわないとは判らない

農藥への耐性はつまり藥である植物との縁を切ることにならないか

植物から縁を切られて生きていけるいのちはありませんが

大丈夫でしょうかね?

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