必要なのは除菌では無く清淨 消毒では無く循環

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山の中を流れる川のせせらぎと

老朽化した水道管を通って出てくる水道水と

どちらの方がキレイ?キタナイ?

あなたが排泄したものは

あなたの中を通って出てきただけです

お腹から出てきた赤ちゃんはキタナイのでしょうか?

衞生という概念が生まれたことで、乳幼児死亡率が格段に少なくなったとか

大切なことではあります

ですが、その線引きは意外に曖昧ではないでしょうか?

外から帰ってきたら、うがいと手洗いをするように奨励されています

今ではそれだけでは足りず、除菌や消毒もするようになっていますね

これはしかし、ちょっと考えた方が良くないでしょうか?

空気中もそうだし

私たちの軆の回りは基本的に菌だらけです

何だか“良い菌”“悪い菌”と分けていますが

そんなのは人間のエゴでしか無く

何なら、向こうの方が先輩ですし

そもそも私たちのからだ自體が菌の棲み処でもあるし

その菌によって生かされ護られているのです

大腸菌というのは、文字通り、大腸に住んでいる菌たちのことですが

これらが壹度體外に出たものと接触すると

私たちは拒否反應を起こします

つまり、食中りなどを發症します

元々、お腹の中にいるのにです

これはナゼかは分かっていないそうです

菌が病气や何やらを引き起こすのは

全く、こちらのからだの都合です

からだが整っているのなら

通常の菌は惡さなど出來ません

どれだけ「除菌」に躍起になったとしても

無菌状態にはなれませんし

なったら生きていけません

納豆も、キムチも、ぬか漬けも、味噌も、醤油も、ヨーグルトも、パンも、菌です

この世界は

存在する意味の無いものは存在できない

という約束で成り立っています

つまり全てには意味があるということ

あらゆるものはお互いに關係し合っていて

それは直接手の届かないものだろうと

全てがバランスの上に成り立っています

“悪い菌”“良い菌”と區別をしても

どちらか一方だけを退治することは出來ませんし

出來たとしてもバランスが崩れることによって

どのような悪影響が生まれるかは

その時が訪れるまで分かりません

少なくとも除菌や消毒に躍起になるほどに

バランスを乱すことになり

護ってくれるバリアとしての菌も居ない

無防備な状況になるだけです

手洗いも、うがいも同じことです

水洗い程度ならまだわかりますが

藥用石鹸で手を洗ったり

藥用歯磨き粉で寝る前に口の中を“除菌”したら

寝ている間に“悪い”菌に

「どうぞお入りください」

と促しているようなものです

私は、歯磨き粉を使うのを止めてから

朝の口内の气持ち惡さを感じなくなりました

口内は高溫多湿ですから

菌にとっては棲みやすい場処です

そこでの抗菌は自分のからだの力で行うのが壹番の方法です

口内の抗菌、修復は唾液の役目ですし

口内にいる、皮膚に棲んでいる菌たちは

そこで私たちを護っていてくれている存在なのです

現在世界で最も古い記憶を有する日本には

遙か昔に體驗したパンデミックを教訓にした

神社の手水舎つまりうがい、手洗い

お辞儀という非接触の挨拶

土足で室内に入らない

専用の箸や茶碗がある

など衞生を保つ智慧があります

衞生は自然の清淨な状態を保つことに意味があり

掃除の目的と健康である爲の條件は同じで

空気の流れ水の流れを

澱まないように促すことです

“惡い”とされるものでも循環すれば良い影響をもたらしてくれますし

“良い”と思われているものでも滯れば惡さを働くのです

生きるのに必要不可欠な水も酸素も多過ぎれば猛毒です

菌やウイルスがいなければ私たちは

飢えるし子孫を作ることも出來ません

からだは最も軆近な自然なのですから

自然と快い關係を保つことこそが大切なのです

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