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過去に起きた「悲劇」を「教訓」として受け取る人もいれば、「思い出」として語る人もいれば、未だにその出来事に縛られ、不可侵の「トラウマ」としている人がいます。なぜでしょうか?悪い家庭環境で育ったので、暗い性格になりました。これは、過去に縛られているのではありません。その不幸に彩られた過去を、自らが必要としているのです。敢えて厳しい言い方をするなら、「悲劇」と言う安酒に酔い、不遇なる「今」の辛さを忘れようとしているのです。ここに三角柱があります。この三角柱はあなたの心を表しています。いま、あなたの座っている位置からは、三つある側面の内の二面が見えます。一面には、「悪いあの人」もう一面には、「可哀そうな私」。①「悪いあの人」を非難するか、②「可哀そうな私」をアピールするか。
あなたがどんなに、「悪いあの人」について同意を求め、「可哀そうな私」を訴えようと、そしてそれを聞いてくれる人がいようと、それは、一時の慰めには成り得ても、本質の解決にはつながりません。思い悩んだ人間が訴えるのは、結局このいずれかです。それでは、三角柱を回転させます。最後の一面に書かれた言葉は何ですか?③「これからどうするか?」われわれが語り合うべきは、正にこの一点「これからどうするか」です。(目的/自分軸)①悪いあの人(他人軸=自分は悪くない)②可哀そうな私(他人軸=自分は被害者)あなたがどんなに大きな声でそれを訴えても、私は聞き流すだけです。冷淡さ故ではありません。そこに語り合うべき事が存在しないからです。人間の可能性を信じているからこそ、悲劇に酔う事を敢えて否定するのです。
①「悪いあの人」の話を聞き、(自分は正しい、悪いのは相手)②「可哀そうなあなた」の話を聞き、(自分は正しい、悪いのは環境)わたしが同調すれば、あなたはひと時の癒しは得られるでしょう。この人に相談して良かったという満足感は得られるでしょう。しかし、それであなたの明日からの毎日がどう変わるのですか?また傷ついたら癒しを求めたくなります。あなたは内面と向き合うことなく逃げているだけです)結局は、「何も変わりませ。。。。。」あなたのその「逃げの習慣」=「他人軸」が変わらない限り。。。あなたが、逃げる事なく、自分に向き合って、「自立」して、「自分軸」を立てない限り。。。結局は、「何も変わりません。。。。。」「何も変わりません。。。。。」「嫌われる勇気」岸見一郎著より一部抜粋