「覚醒」とは何か?

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「覚醒」とは、「世界」「空間」が自分であるという認識になる事です。「心の砂時計」は哲学です。「〇〇メソッド」の類ではありません。「〇〇メソッド」を追い求めると「メソッド」によってエゴまみれになります。「私、メソッド知ってる人」と「あなた知らない人」という「分離」が始まるからです。本来、誰でも最初から「在る」(be)存在です。何故なら「在る」と感じているものしか自分が創造している世界には現れないからです。

何であなたの願望が叶わないのか? それは、紛れもなくあなた自身が「自作自演」で創ったからです。望み通りの世界が出来ただけです。「時計」を見れば「時間」を創り、それに伴い「過去」や「未来」を創り、「他人」が絡んでくれば、「あの人」を創ります。「あの人」は、こういう性格で云々、あの人がいると~何々で嫌だよな」と・・・連続ストーリー(に見える物語)を創り上げています。実際は、瞬間瞬間にエゴが介入し、いかにも続き物の様な話を創り上げているだけです。全部「エゴのまやかし」です。それに気が付けば良いのです。

「エゴ物語」と「本当の自分」には、何の関連性もありません。「本当の自分」は、連続ストーリーを眺めているだけで、ずっと静止しています。豊かさや愛情も同じです。エゴが勝手に話を進めても、本来事実と関係ないのですから、それによって、それらの感覚が妨げられる事はありません。何で「豊かさ」や「愛情」という感覚を感じられるのに、わざわざ「何々をしなければ何々を得られない」、あるいは「いつか、そのうちに」とか「もっと優れたメソッドを」とかのレッテルを貼るのか?感覚を感じられるという事は「在る」から感じられるわけです。無かったら感じられるわけないですよ。花を見て美しいと感じられるのは、花が美しいのではなく、あなた自身が「美」を持っているからです。「お金」を見て豊かさを感じられるのは、あなた自身が豊かだからです。世界は常に自分自身です。ですから最初から起き上がりこぼしの様に、完璧なバランスが取れています。起き上がりこぼしを立たせたかったら、あれこれ押したり引いたりせずに、「何もしない」のがベストです。エゴがこびりつくと「時間が無い」「お金が無い」などと言い訳をして「現実創造」を曇らせます。

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