「本当の自分」vs「偽りの自分」の構造

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日常の意識を超越した体験がなければ人生に美しさを感じる事が出来ません。充実した人生を過ごす為には、多くの境界を乗り越えて行く必要があります。善/悪といった「分離」を超越した処に「ニュートラル」(中庸)な場があります。瞑想を通して超越体験をすると、如何なる事にも惑わされない心の安定と平安があり、心が穏やかになります。「時間」を超越した知覚(真我)は、時間に束縛された知覚(自我)と対立します。「自我」とは、社会的な「仮面」の事です。「本来の自分」を隠す為の上辺の「飾り」です。(仮面=アバター) 「時間」に束縛された自分のままでいると、人間の振る舞いは、「過去」や「未来」に対する期待や不安に翻弄されます。「罪の意識」や「悲しみ」に苛まされます。「時間」を超越した知覚(至福)が、「本来の自分」です。「本当の自己」は、「思考」の領域ではなく、「思考」と「思考」の隙間の沈黙の領域に存在しています。この隙間に居る間、宇宙の「魂」がそっと囁いてくれます。この「囁き」が「直感」です。「時間」に束縛された知覚(自我)は、知性(思考)の中にあり、損得勘定(比較・判定・裁き)をしています。「時間」を超越した知覚(至福・ワンネス)は、心の中に在り、感じるもの=「宇宙意識」です。愛と調和、安心安全、至福です。

(津留晃一の世界参照)


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