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あなたは、極一部を見て「世界」と誤解しています。欲望や恐怖を持たずに生きようとすればする程、自分の行動は欲望や恐怖に基付きます。聖者であろうとする事は他人と比べて優れた人になりたいという自分のプライドを満たしたいからです。エゴは姿を変えながら、どこまでも他者と比べて「自分」を再確認します。「自分」が上に居るのは「他者」が下である事に依ります。あなたは誰かを蹴落とさない限り「これが自分だ」というものを規定できません。あなたが「何かに達する事・誰かになる事」が、人生の主な楽しみである限り、あらゆる「勝者」には「敗者」が必要であり、あらゆる「賢者」には「愚者」が必要です。これは、永遠に終わることの無い「ラットレース」です。「自分がどう在るか」は、常に「他者がどう在るか」に依ります。。。「私」とか「あなた」のようにそれぞれ別個(分離)のものとして、考えることが、そもそも間違いなのです。
(つづく)