ゆく河の流れは絶えずして・・・(方丈記)

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「前世や来世なんかあるかい、生まれる前も無だし、死んだらまた無に戻るだけだ」と考える人は多いです。その生命観は「無」→「有」→「無」。何もない処から突然「私」が現れて、死ぬと同時に「私」は無くなる。何億年、何十億年、ずっと「無」だった処から、何故か突然パッと「私」というものが生じ、しばらくすると、またパッと「私」が消え、何億年、何十億年と永遠に「無」が続くという生命観です。この生命観では、前世もなければ、来世もない事になります。仏教の生命観は「無から有は生じない。有るものが形を変えながらずっと流れ続けて行く」。これを『方丈記』では、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」とあります。

「無い」ところから、突然「有る」は生じない。「有る」という事は、その前も「有った」のであり、今「有る」ものはこれからも形を変え「有り続ける」。この「無始無終の生命観」を説き明かしたのが仏教です。私」という生命は「初めの無い初め」からずっと存在し、「終わりの無い終わり」までずっと流れて行くという「無始無終の生命の実態を解き明かす」のが仏教の教えです。あえて図で表せば「円」です。始めも無ければ、終わりも無い、ここがスタートという事もなければ、ここがゴールということもない、永遠に果てしのない道をぐるぐるぐるぐると回り続けている、これを仏教では「輪廻(りんね)」といいます。車の輪が回るように果てしのない様です。「私達の生命は、輪廻している」とお釈迦様は教えられました。

今、私がこの世に生まれた、そしてやがて死ぬ、というのは生滅(しょうめつ)ですが、前世が滅した時が現世の生じた時であり、現世の滅がすなわち来世の生であり、「生滅を重ねながら輪廻している」のが生命の実体であり、これを「輪廻転生(りんねてんしょう)」といい、何度も何度も転生しながら私達の生命は果てしなく流れているのだと教えられています。

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