煩悩即菩提(渋柿の渋がそのまま甘味かな!)

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煩悩は、満たせない無くせない。なら、どうすれば幸せになれるのか?あらゆる哲学、思想はここで行き詰まっています。処が「教行信証」(歎異抄)には、欲や怒りや嫉妬の「煩悩」を減らしたり、無くしたりしないままで、知覚できる幸福の存在が書かれています。それが、「煩悩即菩提」です。「言葉をば離れなければ真ならず」。言葉で表現したもの(思考)は、真実ではないですが、伝える手段がないので例え話をしますと、「渋柿の渋が、そのまま甘味かな」。渋柿の「渋味」が、そのまま「甘味」になる様に、煩悩(苦しみ)一杯が、菩提(幸せ)一杯となる。「苦悩」が、そのまま「歓喜」となる。このことを「歎異抄」では、「無碍の一道」と表現しています。碍(さわり)の無い「いまここ」の至福(eks・tasis)=愛=宇宙。

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