このコンテンツには閲覧パスワードが必要です。

人間は誰も(あなたも)、二つの難病を持っています。 ①治る難病(苦悩の根本・本質)と②治らない難病=「煩悩」です。 前者は、「真我」に気付くことで、生きている間に「完治」できます。(サレンダー、手放す) 真我に出会う事で、それまでの人生の全てが意味を持つ様になります。無駄なものは何一つありません。 (例;アップルを首になったジョブズは、後に最高の出来事でしたと感謝=完治。挫折=糧) 後者の「煩悩」は。人間とは、死ぬまで「煩悩の塊」です。 あいつの精で損をした。こいつの精で恥をかいた。 「煩悩」は治らない難病ですが、苦悩の「枝葉」です。 「本質」ではないと説きます。(ここに救いがあります。)
歎異抄には、健康や、お金や ビジネスの成功では得られない、満たされない何かがあります。 「歎異抄」が時代を超え、地域を超えて読み継がれている所以は、その「普遍性」です。無明(無知)が、全ての人の苦しみの根源です。 それを生きている間に完治できると説きます。 死は、万人に共通する100%確実な未来です。 その確実で、未来が見えない死の不安。 私達は、死後の無知・不安を抱えているので心から人生を楽しむ事ができません。
「歎異抄」は、この「心の不安」(無知)は、「真我」(本当の自分)に気付くことで、 生きている今この瞬間から、「至福=人間に生まれて来て良かった」という幸せになる事ができると教えています。 つまり、誰でも、自我・煩悩の「本質」が解れば、救われるということになります。(ここに救いがあります) ここに、「心の砂時計」の存在理由があります。 逆に言えば、私達・凡人は、「本質」を問うことなく、 眼前の3次元物理空間を無自覚に<苦悩の枝葉>に振り回されて生きているから救われないということになります。