「我思う故に我あり」デカルトの嘘

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17世紀の哲学者デカルトは、「思考=自分」と考えました。現在でも多くの人がこの17世紀のデカルトの考えで止まっています。自分が常に「考えている」という一見事実によって、「思考」と「存在」を「同一視」しました。これは「私の本質」を発見したのではなく、「エゴ」の根っこを発見しただけでした。サルトルは、「我思う故に我あり」と考えている「私」を観察する別の「私」がいる事に気付きました。自分が考えている事に気付いた時、気付いた「意識」はその思考の一部ではありません。思考の「外側」(上位)にあります。つまり、「意識」と「思考」とは、別の次元(階層)にいます。上位概念の「意識」(真我)が、「我あり」と言っています。「本当の自分」(真我)は、「思考」とは別の階層(意識次元)にいます。これがサルトルの発見です。

頭の中の「考え」を自分自身とは思わず、第三者の立場からただ「観察」する事が必要です。「エゴ」は、「思考」や「感情」を「私自身」だと思い込ませ様とします。「思考=私」というのはただの妄想です。「考えている私」と「本当の私」は完全に、「別物」です。この事に気付くと→「エゴ」に振り回されなくなります。エゴから解放されるために必要なのは「エゴに気付く」こと。これだけです。何故なら「気付き」と「エゴ」は共存できないからです。「考えている自分」に気付いている間は「エゴな状態」ではありません。この「気付く」という事が、今この瞬間に集中する事です。「気付き」とは、「いまここ」にいることで初めて発揮できる力です。「いまここ」ニュートラルに「在る=be」からこそ、物事の「本質」に気付くことが出来るのです。「いまここ」に居れば「思考」というエゴ(自我)に騙されることはありません。(続)出所;「ニュー・アース」エックハルト・トール著参照

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