図解 江戸の小噺「一人一宇宙」論。

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一人一人、今まで「見てきたもの」「聞いてきたもの」「話してきた事」、そして何より「考えてきた事」は、みな違います。それら「業(行為)」が各人各別だから、同じものを見ても同じには映りません。こんな小噺があります。飛騨の高山に住んでいる男と、伊豆の大島からやって来た男が、江戸の宿屋で同宿した事があった。やがて二人の口喧嘩が始まった。その口論の争点は「太陽はどこから昇ってどこへ沈むのか」という事についてです。飛騨の高山から来た男は、「太陽は山から上って山へ沈むものだ」と主張する。伊豆の大島から来た男は、「太陽は海から登って海へ沈むのだ」と主張した。両者は一歩も譲らない。「あの山から昇る太陽をワシはこの目で見て来たんだ。うちの父ちゃんも見て来たし、じいちゃんも見て来たんだ」と高山の男が言えば、伊豆の大島の男は、「うそつくな!オレは海から昇る太陽をこの目ではっきり見たんだ。毎日この目で確認してきたんだ」どちらも、証拠を見てきている。うそはついていない。

宿屋の主人が、「何事か」と、二階にあがって、ことのいきさつを聞いてみた。宿屋の主人は、大笑い「あんたら、ばかですなぁ何にも知らんのですね。あのね、太陽というのはね...屋根から上って屋根に沈むんだよ」と言ったという。これがオチですが、含蓄のある話です。経験や学問、環境や才能が違うと、話し合っても、どうにもわかり合えないことがあります。話し合えば判る、というが、判るんなら戦争も裁判も要らない。よく話し合えば済むのならそうすればいいのです。なぜ話し合いが決裂して戦争や裁判が始まるのか、一人一人住んでいる世界が違うことが知らされます。

もしこの落語に、現代人が登場して「本当は、太陽のまわりを地球が回っているんだよ」てなことを言い出したら、それこそ3人の男にバカ者よばわりされるのは、目に見えています。夫婦といっても、同じ屋根の下に住んではいても生まれ育った環境は違うし、経験や才能も違います。「自分の全てを理解してくれ」と相手に要求し合ったら、もうすでにこの落語の口げんかそのものです。同じ屋根の下に暮らす夫婦でも、あるいは血を分けた親子でも、お互い分かり合えないものがあるとお釈迦様は説かれています。「独生独死独去独来」人はみな一人ぼっち。そんな人間同士が支えあって、ようやく保っています。部活読者の様に少しでも分かり合える人がいたら、それはそれはとても幸せなことです。

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