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この世のすべては道(ダオ)であり、そこから全てが生まれ、全てはそこに帰っていくと言う。(老荘思想) 多くの人は、「道」とは何ですか?と聞きますが、荘子曰く、「道」について「言葉」で説明しようとした途端に、それは既に「道」ではなくなってしまいます。つまり、言葉を使うと、言葉の本質として二項対立の概念が生まれてしまうので、二項対立を超えた一つの世界である「道」が説明出来なくなります。「道」とは、Aであると言うと「Aでないもの」が同時に生まれます。その様な二項対立の枠組みの中で、「道・タオ」を語ろうとしてしまい、そもそも二項対立を超えた道の次元(非二元)を説明できません。老荘思想の中では、人間社会の中で一般的に対立的に考えられている事も、「道」が変化する一部であると捉えます。
人間が「死ぬ」事と「生きる」事を二項対立的に捉えていたとしても、老荘思想の中では、それらは対立するものではなく、お互いがお互いを含んでおり、変化の一部に過ぎないとなります。にも拘わらず、多くの人間は、それを自分の都合の良い観点から切り取って、これは「死ぬ」ことであり、あれは「生きる」ことであると二項対立の人工的な図式を作り出しています。私たちの日常生活の中で言葉を使っていろいろな事を二項対立的に決めつけています。あの人は「素晴らしい人」だと言う言葉を使うと、その瞬間に「この人は素晴らしくない人」だという事になります。それに、見方や、切り取り方によってどのようにでも解釈する事は可能です。が、一部だけ切り取ってそれに対して二項対立的な決めつけをすると言うのは、なんとも無駄で意味のない事です。ウクライナ戦争然りです。
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