ラットレースを抜け出す方法。(ワンネスの哲学)

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この世はワンネスです。全てが連携しています。この一体性(全体性)=「縁起」が分からないと「エゴ」(自我)が生じます。「自分=全て」(自分=神)であるという真実が、エゴ(枠)によって分からなくなります。「全ては一つ」(ワンネス)が分かると「自分=神」が分かります。光と闇、表と裏、内と外、生と死、愛と恐れ 等の対立の概念も「全てが一つ」でそれぞれが同一のものの一方の「端」(極)です。全てのモノが、「片方」だけでは存在できず、真実は合わせて「一つ」のものです。(非二元)これが腑に落ちると、対立関係の見え方が変わります。「自分と他者」、「他者」も「自分」である事が見えて来ます。勝者と敗者は真実は「ひとつ」です。「片方」無くして「もう片方」は存在しません。あなたは極一部を見て世界と誤解しています。

欲望や恐怖を持たずに生きようとすればするほど、自分の行動は欲望や恐怖に基ついています。聖者であろうとする事は、他人と比べて優れた人になりたいという自分のプライドを満たしたいからです。エゴ(自我)は、姿を変えながらどこまでも「他者」と比べて「自分」を再確認します。「自分」が上に居るのは「他者」が下であることに依ります。つまり、あなたは誰かを蹴落とさない限り、「これが自分だ」というものを規定できません(二極性)。あなたが、「何かに達する」こと「誰かになる」こと(do)が人生の主な楽しみである限り、あらゆる「勝者」には、「敗者」が必要であり、あらゆる「賢者」には「愚者」が必要です。これは、永遠に終わることの無い「ラットレース」です。「自分がどう在るか」は常に「他者がどう在るか」に依ります。。。

「私」とか「あなた」のようにそれぞれ別個(分離)のものとして、考えることがそもそも間違いなのです。真実は、「エゴ」(自我)という感覚がナンセンスです。独立した「エゴ」(自我)というのは、単なる「作りごと」フィクションです。あなた(自我)の「ねつ造」です。「わたし」というエゴの感覚は、単なる幻想(仮想現実)です。真実は「諸法無我」です。(我は在りません)「エゴ」=「架空の作り事」だという事を確信できると、自分自身が生の全プロセス、全パターン(全体性)である事を実感する様になります。全ては「ひとつ」「ワンネス」(非二元)です。(to be continued)

出典;「ラットレースを抜け出す方法」アランワッツ著


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